この空を羽ばたく鳥のように。
* 九月廿二日〜降伏、開城 *
九月二十二日の昼四ツ(午前10時)。西軍は南東の小田山と北西の七日町より大砲を放った。二発の砲弾は大きく飛び、天守の上で交差して飛び去った。止戦の合図だった。
それに合わせて申し送りのとおり、北追手門など城内の三ヶ所に「降伏」と大書された白旗が掲げられた。
鈍色の空に、それは寂しくはためいた。
降伏式の会場は北出丸前の、焼け落ちた西郷邸と内藤邸のあいだの甲賀町通りに設けられた。そこに家老•梶原平馬、内藤介右衛門、軍事奉行添役•秋月悌次郎、大目付•清水作右衛門、目付•野矢良助の五人が麻裃の礼服姿で待機した。
昼九ツ(正午)に西軍軍監•中村半次郎、軍曹•山県小太郎、使番•唯九十九が式場に到着するとこれを迎え、
続いて松平容保公、喜徳公のニ公が礼服に小刀のみを帯び、大刀は袋に入れ侍臣に持たせて姿を現した。
その後に家臣十人が麻裃に脱刀して従い降伏式に臨んだ。
式場には十五尺四方の緋毛氈と菰が敷かれ、西軍の三人が緋毛氈の上に置かれた腰掛けに座った。中央には火鉢と煙草盆が置かれていた。
会津側の出席者も薄縁の毛氈の上に端座した。
式典は淡々と進んだ。容保公が嘆願書を差し出し、それを唯が受け取り中村へ手渡した。続いて会津藩の重臣九人が署名した嘆願書も提出したが、内容は同じだろうと踏んだ中村はそれを受け取らなかったという。式典は短時間で終了した。
降伏の式典は会津の者に苦い記憶となって残った。
重臣達は式典が終わったあとに残された緋毛氈を細かく切って分け合い、これを「泣血氈」と名付けて、この日の屈辱を生涯忘れぬと固く誓った。
二公はその後、城へ戻って重臣や将校にこれまでの苦難を慰労し、城中で亡くなった者達が眠る空井戸と二の丸の墓地に花束を捧げ、皆に訣別の言葉を述べた。
それらを済ませてから、二公は謹慎するために滝沢村の妙国寺へ向けて籠で出立した。軍曹の山県が馬で先頭に立ち、薩摩•土佐の小隊が籠を挟み、警護しながら妙国寺へ向かった。照姫も奥女中を従い、遅れて妙国寺へ入った。重臣もこれに倣った。
この日城内にいて降伏を迎えた者の数は、五千人前後。
藩主家族が城を立ち去るのを見送ったあと、みな気が緩んだようにへたり込み、涙を流して悲しみに暮れた。天を仰ぎ、地に伏した。
コォーッ コォーウォ コォーッ
この日も白鳥は鳴いていた。動けないため姿を探すことはできなかったけど、その鳴き声は大書院内の悔し泣きの声や喧騒にまぎれて、何も出来ず寝ているだけの私の耳に届いた。私はいつの間にか、白鳥の鳴き声に敏感に反応するようになっていた。
きっとこの敗戦に、土津さまも嘆き悲しんでおられるのだろう。そう思った。
昼過ぎから城内にいた兵士達は三の丸に集められ、武器を差し出し、人別を改めたあと翌二十三日に猪苗代謹慎所へ向かうこととなった。
婦女子と六十歳以上十五歳未満の男子はお咎めなしとしてどこへでも勝手次第に立ち退くか、北方(若松から北の方にある村の総称)方面へ向かうよう割り付けされた。
傷病者は小田山の麓にある青木村か御山村へ運ぶよう指示があった。
本日中にお城明け渡しとなっていたが、供出された武器の調査や兵士の人別改めに時間がかかり、なおかつ多くの傷病者を運び出さなければならず、城内退去は二十四日まで猶予を与えられた。
助四郎はまだ戻ってこなかった。母上とみどり姉さま、えつ子さまは身の回りのわずかな荷物をまとめていた。
私は何もできず、不安の中で助四郎の無事な帰りを待っていた。
そんなところへ優子さんが現れた。たつ子さまから私が開城後すぐに出て行くと聞いてあいさつに来てくれた。優子さんもご母堂のこう子さまとともにお城を出るという。
「みな……離れてしまいますね」
そう言って寂しそうに笑う優子さんに、私は気にかかっていたことを聞いた。
「優子さんも……山浦さまと離れてしまうの……?」
強い絆で結ばれただろうふたりは、この戦争を生き抜くことができた。それなのに離れてしまっていいのだろうか。
残念に思えてならないと伝えると、優子さんは静かに首を振った。
「どんなに願っても、付き従うことは叶いませんもの。
わたくしは家族とともに行かねばなりませんし、山浦さまは指示された病院へ運ばれると思います」
想いが通じあえど、ふたりは親が許した許嫁でも夫婦でもない。家族とて、よく知らぬ男の看病のために嫁入り前の娘を置いていくなどできるはずもないだろう。
優子さんが山浦さまに付き従う名目がない以上、そばに居続けることは難しいと思えた。
優子さんだって家族が大事。これから謹慎所へ向かう父君や兄君のことを含め、今後のことを家族と相談しなければならない。
「それでも小娘の浅ましさで、山浦さまの前で駄々をこねてしまいました。お城を出た後も、このままお世話を続けさせてくださいと」
「……山浦さまは、何て?」
訊ねると、優子さんは悲しげに自嘲した。
「強く拒まれました。家族とともに在るべきだ、と」
「……そう」
山浦さまならそう仰せになるだろうと思っていた。
たとえ心は違うところにあるとしても、自分のためにうら若い娘の道を外させる訳にはいかないーーーそうお考えになられるはずだと。
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