この空を羽ばたく鳥のように。
気を失っているあいだに、目的地の屋敷へ運ばれた。
その時の記憶はひどく曖昧で、激痛のあまり目が覚めては暴れ、また気を失うを繰り返していたような気がする。
あとで聞いた話だが、屋敷に運ばれてすぐに待機していた医者が傷口をすべて縫い直してくれたらしい。
近くの野戦病院で治療に当たっていたというこの医者は機糸をきれいに取り除き、医療用の清潔な糸で傷口を再度縫い直した。腐りかけて膿んでいた肉も一緒に切り取り、それ以上の進行を防いでくれた。
処置されたあとすっかり血と体力を失っていた私は昏々と眠り続けた。ずっと痛みと熱に苛まれながら。
そのあいだ、ずっと誰かが手を握っていてくれたような気がする。
ぼんやりと明るい昼間でも、灯りのまったくない暗い夜でも。痛みで意識が引き戻されると、いつも私の手は優しい手に包まれていた。それが誰かは分からなかったけれど、そばにいてくれる安心感が胸に広がって、また眠りに落ちることができた。
どれだけ眠っていたのか分からない。
ふっと目が覚めると、あたたかな部屋で私は寝ていた。
打ち直された柔らかい布団の上に身体は寝かされ、掛けられているのは掻巻だ。八畳ほどの広い部屋はどこも崩れていなくて、襖も障子もきちんと閉められ外気を遮断している。
そばに置かれた火鉢の上の鉄瓶がチンチンと心地よい音を立てて湯気をあげていた。
(ここは……どこ……?)
記憶が覚束ない。今がいつなのか、ここがどこなのか。
何も分からない。でも……。
(あったかい……。久しぶりだ……お布団で寝るの)
それとも、ずっとひどい悪夢を見ていたのだろうか。
目が覚めたら、戦争なんて本当はなくて。
ここは私の部屋で、中庭を越えた向こうの部屋には普通に喜代美が過ごしているんじゃないかな。
そう思って首をめぐらせたとたん、鎖骨の辺りに激痛が走った。
「いっ……!」
痛みに頭がグッと冴えてきた。
これは夢じゃない。現実だ。しかもこれ何回目?
必死に痛みに耐えていると、部屋の外から軽やかな足音が聞こえてきて、ゆっくりと部屋の襖が開けられた。
「……あっ、お気づきになられました?よかったぁ〜!」
そう言ってほころばせたその顔を私は知っている。
驚いてその名を呼んだ。
「おたか……?あなた、おたかじゃない」
津川家で下女として働いてくれた おたか。
敵の城下侵攻の前に実家に帰したおたかと、まさかこんなところで再会するなんて。
「そうです、たかでございます!よかった……再びお目にかかれることができましたのに、こんなおいたわしいお姿で……このままお目覚めにならなかったらどうしようかと思いました!」
おたかは私の傍らに飛びつくと、顔をくしゃくしゃにして泣き出した。あまりの泣きようにまた驚く。
「おたか……泣かないでよ。私は大丈夫だから」
手を伸ばしておたかの膝に乗せると、その手をしっかりと握り、彼女は何度もうなずいた。
「はい……はい!本当に……本当にようございました!」
手を握られて、夢現の中の記憶を思い出す。
「おたか……眠っているあいだ、私の手をずうっと握ってくれていたのは、おたか……?」
きっと眠っているあいだ手を握り続けてくれたのはおたかだったんだと思って訊ねると、彼女はきょとんとして答えた。
「手を……?いいえ。きっと、夢でもご覧になられたのでしょう」
「夢………」
そうなのかな。私は現実と思っていたけど、あれは夢だったのかな………。
あの優しい手を思い出して、おたかの手のぬくもりと比べようとするが、記憶が曖昧すぎてうまくいかない。
考えるのをやめて、別の質問をした。
「おたかはどうしてここに……?ここは、あなたの家なの?」
訊ねると、私の手を布団に戻して「いいえ」とおたかは首を振った。
「ここは私の里の肝煎、藤林庄兵衛さんのお屋敷の離れ屋です。運ばれたのがさよりお嬢さまと知りまして、お世話するために上がらせていただいたのです」
そうか……ここは、おたかが生まれたところ。
私は偶然にも、おたかのいる村に運ばれたんだ。
「肝煎さんに頼まれてお嬢さまをお迎えにあがった村男がおりましたでしょう?あれが私の兄なんです」
「それって、多吉のこと……?」
「はい。兄はお嬢さまのお顔を存じあげておりませんでしたが、津川さまのご血縁らしいとの話を聞いて、もしやと思い私に知らせてきたんです。
ですからあわてて取るものもとりあえず駆けつけて参りました。
肝煎さんのお屋敷に着いて、お嬢さまのこのようなお姿を目の当たりにした時は肝を潰さんばかりでございましたよ」
また新しい涙を浮かべて話すおたかに、私は苦笑した。
「そうだったの……心配かけてごめんなさい。でも、また会えて嬉しいわ」
「私もです。本当に……お気づきになられてようございました」
同じ言葉を繰り返しておたかはやっと笑ってくれた。
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