この空を羽ばたく鳥のように。
住む場所は落ち着いたが、生活するには仕事を見つけねばならない。
とりあえず動けるみどり姉さまや助四郎は、肝煎さんの家の雑用をしたり食事の用意をしたりして働いた。
そのほか、求められれば村の人達の手伝いにも出かけた。
あまり動けない私や母上は、お針仕事を請け負った。
野良着の破れを直したり、着物を仕立て直したり。
糸を紡いだり、母屋で機織りも手伝った。
手が空いている時には、村の子供らに読み書きを教えた。そういう時は同じく読み書きできない助四郎も顔を出して熱心に学んでいた。
そうしてお礼にもらった野菜などを助四郎に売り歩いてもらい、少しずつ小銭を稼いだ。
今のところはお金が無くても、住むところはあるし仕事や食べ物を分けてもらえるので不自由はない。
けれどもこれから本格的な冬になるし、父上や喜代美が戻ってきた時にどうしてもお金が必要になる。そのため皆で頑張ってお金を貯めていこうと決めた。
父上や喜代美の衣服も用意しておこうと、村人から要らなくなった野良着や分けてもらった生地で着物も仕立てる。
そうして目的を持って日々を過ごしてゆくうち、私達の中に自然と生きる気力が湧いてきた。
毎日にやりがいを感じ、気持ちにも張りが出て生活を楽しめるようになった。皆の笑顔も増えてきた。
けれど時どき城下町のほうを見上げてはため息を漏らす。
あそこにもう帰る場所はない。降伏後は会津藩も滅藩となり、若松城下は無法地帯となっていた。他国からよくない輩が集まり、昼日中から道端で賭場などが開かれ、商人や農民を誘い博打が盛んに行われた。
会津藩が戦前から幕府の許可を得たとして行っていた贋金作りも、会津藩瓦解後、商人•農民などに広まり、山中などで作られた贋金が横行し、会津で流通するのはほとんどが贋金という状態にまでなった。今は新政府が民政局なるものを設置して、これらを厳しく取り締まっているらしい。
不穏な動きもある。十月に入ってから、会津地方の各地の農村で一揆が起こっているという。
会津藩の圧政に苦しんだ農民達がこれまでの体制を強く批判し、新政府に改革を求めるための一揆だった。
夜になると「ヤーヤー」と叫びながら村役人を務める肝煎や郷頭の居宅を襲い、家を打ち壊し、証文などを焼くのだそうだ。
のちに『ヤーヤー一揆』と呼ばれるその農民一揆を、新政府が設置した民生局は村役人と農民のあいだで話し合いを設けるよう伝え、無視を決めこんだという。
それでもまだこの村は穏やかで、村人達は早く元の暮らしに戻そうと懸命になって働いている。そんなたくましい姿を見習いながら、私達は彼らと親しむようになっていった。
助四郎は多吉やおたかともすっかり打ち解け、特におたかとは楽しそうに話す微笑ましい姿を何度も見かけた。
すべての不安を拭えないではいたが、穏やかに過ぎてゆく毎日に、心は少しずつ癒されていた。
十一月に入り、いつものように離れ屋で母上とともに針を動かしていると、おたかが訝しい面持ちでやってきた。
どうしたのか訊ねると、母屋のほうに私達家族を訪ねてきた男がいるという。
「たぶん戦から戻られた方だと思います。ずいぶんとひどい身形で、荷物も風呂敷包みひとつ背負っているだけで。顔にも生気がないし、どうも胡乱な気がして……。
肝煎さんも気味悪がってまして、とりあえず奥さまにお伺いしてほしいと。どうなさいます、お会いになりますか?」
母上と私は顔を見合わせた。戦から戻ったということは、父上や喜代美の安否もしくは居所を伝えに来た者だろうか。
おたかが顔を知らないところを見ると、戦前からの知己ではないのかもしれない。
「とりあえずこちらへお通しして」
そのうえで、一応用心のために助四郎を呼ぶようおたかに伝えると、私達は仕事道具を片づけた。
それから未だうまく歩けない私は、母上に支えてもらいながら来客を迎えるため戸口へ赴く。
しばらくするとおたかに案内されて男が現れた。おたかが言った通り、男の風体はみすぼらしく汚れていていかにも怪しい感じだった。けれどその服装、うつむきがちの疲れ果てた顔を見て、私と母上は驚いて声をあげた。
「……九八!九八じゃないの!」
訪れた男は九八だった。面差しがだいぶやつれていたけど、無事に帰って来てくれた喜びに思わず立ち上がる。しかし身体がついてゆかず体勢が崩れるのを母上が支えてくれた。
顔を上げた九八は、目を瞠ったあと、顔を歪めて土間に頽れた。
「九八!……大丈夫⁉︎ 」
あわてて土間に下りた私と母上は九八を覗き込む。
九八は気が緩んだのか大粒の涙を流し、顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにして泣いていた。
「……おたか!助四郎呼んできて!早く!」
おたかに向かって言うと、状況を把握できてない彼女は、戸惑いながら助四郎を呼びに駆け出した。
「奥さま……さよりお嬢さま……!わ…わしは……」
「九八、そんなに泣かないで」
声を詰まらせ泣き続ける九八の肩を優しく摩る。
「よく生きて帰ってくれたわ……無事でよかった!」
そう声をかけると、九八の泣き声がいっそう強まった。
「―――兄ぃ!九八兄ぃ!」
おたかに呼び出されて戻ってきた助四郎は、九八に気づいて泣きそうな顔で駆け寄った。九八が顔をあげると、ふたりは抱き合って男泣きに泣いた。
私と母上も涙目になる。助四郎についてきたみどり姉さまも、九八が帰還した姿を見て同じように目を潤ませ微笑んだ。
しばらく再会を噛みしめたあと、そわそわしながら母上が口を開いた。
「ところで九八、旦那さまはどちらにおいでかしら。やはり塩川の謹慎所におられるのよね?もちろん源太も一緒よね?」
我慢しきれず父上のことを訊ねると、ビクリと九八は身体をこわばらせる。
「九八?」
「兄ぃ?」
「……っ!」
様子が変わり、わずかに緩んでいた表情も凍りつく。
助四郎から離れてこちらへ向き直ると、九八は突然土下座した。
「申し訳ごぜぇやせん……!申し訳ごぜぇやせん‼︎ 」
「九八……⁉︎ どうしたの、落ち着いて」
私達が驚いて止めさせようとするのも構わず、九八は冷たく固い土間に顔を押し付けて涙声で叫んだ。
「津川さま、源太さま……っ!おふたりとも同じ日に……お、お亡くなりになられやした……っ‼︎ 」
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