この空を羽ばたく鳥のように。
九八を除くその場にいた全員が、凍りついたかのように固まる。九八のひときわ大きくなった慟哭だけがあたりに響き渡った。
受け入れがたい報せに、母上がへなへなとへたり込む。
――――― 父上と源太が、亡くなった……?
衝撃が強すぎるのか、事態が呑み込めない。
いったい、なにが、どうして。
疑問ばかりが頭に浮かぶ。
「申し訳ごぜぇやせん……申し訳……ごぜぇやせん!申し訳ごぜぇやせんっ‼︎ 」
繰り返し詫びながら、九八は土下座したまま固い土間に額を何度も打ちつける。その異様な行動に、何も考えられなかった私の意識が反応した。
「九八、やめて!」
今度こそ止めさせるため、九八の肩を押さえて上体を起こそうとする。助四郎も我に返って手を貸してくれた。
私と助四郎に押さえられた九八は、泣きながら尚も土下座を続けようと抗う。
「離してくだせえ!こうでもしねぇと、わしの気がおさまらねぇんです!」
「額がすり切れて血が出てるわ。自分を痛めつけないで。こんなこと続けても気が晴れるはずないと分かっているんでしょう?誰もこんなこと望んでないわ」
何かに気づいたように目を見開くと、九八の身体から力が抜けて、両手で顔を覆い泣き崩れる。
痛々しくて見ていられないほどだった。
「わ…っ、わしは、大事なおふたりを死なせて、自分だけが生き残っちまって……!
あまりにも申し訳なくて、皆さまにとても顔向けできねえと思いやしたが、どうしてもおふたりの最期をお伝えしねえとと思い、おめおめ帰ってめぇりやした。本当に……本当に申し訳ごぜぇやせん……‼︎ 」
「九八……」
自責の念が強すぎる。あの九八がこんなにも取り乱して、父上と源太を死なせてしまった悲しみと後悔に苛まれるなんて。
まわりの者達も九八の痛みに共感するように、口に手を当て涙を浮かべた。
「……九八、そんなに自分を責めないで。あんたが無事でよかった。源太はそれを一番気にしていたから」
私の落とした言葉に、視線が集まる。
九八も泣くのを止めて目を瞠る。
私は助四郎に目を遣ったあと、九八に視線を戻した。
「源太は武士が起こした戦争のために、関係ない民が巻き込まれ苦しんでいることに心を痛めてた。だから九八が源太を庇って戦争の犠牲となってしまったら、それこそ今の九八以上に苦しんだと思うわ。
武士でない九八が死ぬことない。いいえ、死んではいけないの。だから九八には、自分だけが助かったと恥じないでほしい。
誰も九八を責めたりしない。父上だって、源太だって。
もちろん私達もよ。だからあんたも責めちゃダメ。自分を許してあげて」
「さよりお嬢さま……!」
「ね、お願いよ」
九八に向けて微笑んでみせる。源太はきっと、そう考えているはずだから。
それから目を伏せた。私も九八に謝らなければならない。
「詫びなければならないのは私達のほうなの。お城の総攻撃で勘吾を死なせてしまった……本当に申し訳ないことをしたわ」
「か…勘吾が……⁉︎ 」
九八が信じられないという顔で助四郎を振り返る。
助四郎も表情を曇らせてうなずいた。
「勘吾が……。姿が見えないのは、怪我でもして病院で養生しとるのかと思っておりやしたが……そうでしたか」
九八の目に、また新しい涙が浮かぶ。助四郎もあふれる涙を隠すように乱暴に腕で拭った。
「ちくしょう……!戦なんてなけりゃ、誰も死ななかったってぇのに……なんでこんな争いなんか……‼︎ 」
九八は悔しさに再び土間に伏して何度も拳を叩いた。
―――――戦争さえなければ。
こんなにもたくさんの人命が犠牲になることはなかった。
彼らひとりひとりに夢があり、目標があっただろう。
大切な人と幸せになる未来だってあったかもしれない。
それなのに。
ほんのひと握りの人達の謀計のために戦争が始まり、関係ない人達まで巻き込んで大きく膨らんでいった。
会津藩は恭順を示したにも関わらず、許してもらえなかった。戦を避けられず、新政府に立ち向かうしかなかった。そのため領民や近隣諸藩にさらなる圧力をかけ、負担を強いて恨まれても必死に戦い続けてきた。
戦争はすべてを飲み込んだ。終わったあとに残ったのは、あまりにも大きな負の感情だった。
まわりからも堪えきれず嗚咽が漏れだす。
皆の上に悲しみが重くのしかかった。
「……源太は立派だったわ。無事に九八を帰らせた。でも私達は勘吾を守れなかった……。本当にごめんなさい」
私は源太のようにはできなかった。
配慮に欠けて勘吾を死なせてしまった。
申し訳なくて、固く目を閉じた。
慟哭がおさまらない九八やまわりの者達のすすり泣く声が落ち着くまで待ったあと、おたかと助四郎に申し付けて、母屋のほうでお風呂を沸かしてもらった。
いろいろ訊ねたいことは山ほどあったが、とりあえず九八の疲れた身体を癒すことを優先した。
九八に湯浴みに行くよう促し、父上のために用意していた着物を着替えとして渡した。
お風呂へ行っているあいだも、母上やみどり姉さまは時おり声を押し殺して泣いていた。
けれど、なぜか私は泣けなかった。
だって、実感が沸かなかったから。
ふたりがもうこの世にいないなんて。
私の脳裡に焼きついているのは、出陣前に身支度を整えたりりしい源太の姿。
源太と九八の前で軽口をおっしゃられていた父上の姿。
その後の姿なんて見てないもの。
ふたりの命が終わる時など見ていないんだもの。
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