この空を羽ばたく鳥のように。



九八が母屋でお風呂を借りて簡単な食事を取ったあと、助四郎に(まげ)(ひげ)を整えてもらい、さっぱりした身形(みなり)で私達母娘のところへ再び現れたのは、日も暮れかかった頃だった。

人心地がついたのか落ち着いた様子で、唯一の荷物である風呂敷包みを丁寧に脇に置き、私達の前で正座すると九八は両手をつかえた。



「では、これまでのことをお話しいたしやす」



深々と頭を下げてから、これまでの経緯(いきさつ)を語りだした。





城外で戦っていた約千七百人もの会津軍が、ご老公(容保)さまの降伏による解兵命令に応じたのが九月二十五日以降のこと。
九八もそれに従い、濱崎(はまざき)村の謹慎所に収容された。

ひと月以上の謹慎生活のあと、十一月に入ると新政府から、戦争に加わった農民などの武士階級以外の者は本来の職に戻るよう通達があり、幾ばくかの金銭を与えられ釈放された。

農民の出の九八も同じように釈放され、自分の村に帰るよう言われたが、それに従わず、失意のまま私達を訪ねてきたのだった。





「わしが責められるのを覚悟で皆さまの前に戻りやしたのは、おふたりの最期をお伝えして、渡さねきゃあならねえものがあったからでごぜえやす」



――――最期。



その言葉を聞いただけで、気分が沈んでゆく。
部屋の(すみ)で控えるおたかや助四郎も表情を暗くしてうつむいた。
どこか現実味を帯びないまま、九八の次の言葉を待つ。


「その前に」と九八は懐を探り、母上の目の前に一通の手紙を置いた。



「えつ子さまからのお手紙でごぜえやす」


「えつ子さまから……」


「へえ。謹慎先でえつ子さまとお会いしやして、奥さまがたがこちらでお世話になられてると教えていただきやした。
ついでにお手紙を渡してほしいと頼まれやして、お預かりして参りやした」



母上はえつ子さまの手紙を手に取り、広げて目を通した。
不安と期待が入り混じる。喜代美について何らかの手がかりが書かれてないかとドキドキして待つ。



「塩川謹慎所に高橋誠八さまが、濱崎村には金吾さまがおられたそうよ」

「ご無事だったのですね……!ああ、よかった!」



それを聞いた私やみどり姉さま、おたかは(わず)かながらも安堵の息を漏らす。

父上と源太の訃報を聞いたあとでは心から喜べない部分もあったが、それでもやはり嬉しく思った。



「母上、喜代美のことは?何も書いてないのですか?」



訊ねても、母上は複雑な表情で「いいえ、何も」と首を横に振っただけで手紙をたたんだ。


落胆が全身を襲う。

えつ子さまの家とは違い、私達は一家の当主を失った。
そして跡を継ぐはずの喜代美も行方知れずのまま。

身体の傷が癒えたら、喜代美を探しに行くつもりだった。
けれど、喜代美はもうこの世のどこにもいないのかもしれない。

私達は―――私は、あきらめたほうがいいのだろうか。



先が見えない状態に皆が沈んだ面持ちで押し黙るなか、母上が心を決めたように顔をあげた。



「九八、覚悟はできました。さあ、旦那さまの最期を聞かせなさい」



九八は迷うように目線を動かしていたけれど「へぇ」と応じて、深く頭を下げた。



「わしらが出陣して最初の戦闘となりやしたのは、十五日のことでございやす」







越後方面から引き揚げてきた会津軍は、会津西方の各地で転戦を繰り広げ、徐々に城の南側に集結しつつあった。

若松西郊にある高田村には、城外で奇襲戦を展開し敵を悩ませた佐川隊が、鹵獲(ろかく)した武器弾薬や兵糧を城へ運ぶために屯営している。伊与田玄武士中隊もその補給経路を確保するための出動だった。

おりしも西軍も会津軍の補給経路を断つため城南区域へ進軍しており、両軍はお城の南西、(いち)(せき)周辺で激突する。
会津戦争終盤における激戦、一ノ堰の戦いである。







「……この日の源太さまのお働きぶりは素晴らしいものでした。槍を携え、津川さまのおそばから片時も離れずお守りいたし、尚且(なおか)つわしのことまでお気遣いくだせえやした」



言いながら源太の勇姿を思い出し、九八はかすかに口もとをほころばせる。





――――わしらの得物は槍や刀ですから、鉄砲(てっぽ)の撃ち合いの時は用になりやせん。撃ち合いのあいだは様子を見て、その合間に斬り込みをいれるんです。
伊与田隊は年輩(ねんぱい)の方がたが多い部隊なので、皆さま槍や刀を構え、遮蔽物のねえ平原で低く身を隠しながら、自分達の出番を固唾を飲んで待っておりやした。



『九八、手柄を得ようとして駆け入るなよ。戦場で死ぬのは簡単なことだ。本当の勇気とは、生きるべき時に生き、死すべき時に死ぬことを申すのだ。今お前は死すべき時ではない。だから死ぬな。わかったな』



(とな)りに並んで状況を窺いつつ命令を待つ源太さまが、戦いを前に気が昂っているわしをそんなふうに諭してくださりやした。



『へえ!わしは源太さまとご一緒なら死ぬ気がしやせん!』



刀を構え、武者振るいしながら応えやすと、源太さまは目を細めやした。



『よし、その意気だ』

『へえ!』



この時は本当にそう思えやした。源太さまのおそばにいるだけで勇気が沸き、力がみなぎるようでした。



『今だ!伊与田隊、突撃――――ッ‼︎ 』



銃声が弱まった時を見計らい下された伊与田隊長の命に、『オオ――ッ!』と吶喊(とっかん)の声をあげ、津川さまも源太さまも勇ましく敵陣へ斬り込みやした。わしも必死にあとを追いやした。



『九八!けして私の後ろから離れるな!』

『へっ、へぇ!』



槍を振るいながら源太さまはおっしゃいやした。
本格的な戦に参加するのが初めてなわしや、ご年配の津川さまとは違い、源太さまは迅速で冷静でした。
戦いながらもまわりの様子を常に観察し、けして深追いなされず、とにかく津川さまの御身を第一に案じておられやした。

わしも腰に差していた刀を抜いて二人を斬り伏せやした。あの時の高揚感は、いま思い出してもゾクゾクいたしやす。まるで自分が偉くなった気がするんです。



お味方の軍も必死の攻防戦をなさり、背後からも城兵が出撃して一帯は大混戦になりやした。お(えら)いさまがた(将校達)も何人かは負傷なされたようですが、日没まで続いたこの日の(いくさ)は敵を退かせ、わが軍の勝利となりやした。

.
< 505 / 566 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop