この空を羽ばたく鳥のように。
(津川さまはすべて分かってらっしゃった。源太さまというお方を、ちゃんと評価してくださっていた。
おふたりの思いも絆も、すべて呑み込んだうえで、高橋さまにそんなことを託しておられたなんて……‼︎ )
もし源太さまが生きておられたなら、さよりお嬢さまとのそんな未来があったのかもしれないと思うと、余計に泣けてきやした。
感情が昂り大泣きするわしとは違い、高橋さまは難しいお顔をしておりやした。
『九八、物事はそう簡単なものではない。当主である津川さまがさような寛大なお考えであっても、世間はそう認めてはくれぬのだぞ』
『へえ…へえ!そうでしょうとも!けんど津川さまのそのお心が、何よりも源太さまへの供養になりやしょう!』
生きて津川さまから直接そのお言葉を聞くことができたなら、源太さまもどんなにか喜んだでしょうに。
そう思ったらまた泣けてきやした。
そんなわしに同調したのか、高橋さまもしんみりとした口調でおっしゃいやした。
『そうだな……お前の話を聞く限り、源太は足る男だったのかもしれぬ。だが当人達はもうおらぬ。
この話は終いだ。
しかしご意志はご家族に伝えたほうがよかろう。津川さまよりいただいた手控えもある』
高橋さまはご自分の荷物から細かく畳まれた紙片を取り出して手渡されやした。そうしてわしは、この紙を預かってきたんです。
「わしは読み書きができんので読めやせん。ですからどうか中をご確認くだせえ」
九八は風呂敷の中にあった折りたたまれた紙片を取り出すと母上に差し出した。
それを受け取り、開く。
文字を確認して母上は頷いた。
「間違いありませぬ。旦那さまの筆跡です」
認められた日付けは九月十五日。
内容も九八の言ったとおり。
喜代美が戻らぬ場合、源太を高橋家の養子とした上でさよりの婿に迎えることと簡潔に書かれている。
「ああ……父上はちゃんと源太をお認めになって、さよりとの事まで考えていてくださったのね」
みどり姉さまが母上の手元を覗き込んで再び涙ぐむ。
父上が源太を婿に選ぶなんて。
ありえないと思っていただけに、皆が驚いていた。
そして、一番驚いていたのは、私だ。
(父上が源太を認めてくださった。そして源太の想いに報いてやろうと尽力してくださった)
身分の垣根を越えてまで。
それほどまでに父上は、喜代美とは別の形で源太を愛しんでくれていたんだ。
父上の中で喜代美はもう戻らないと判断していたのは寂しい。けれど……。
(源太……よかったね。源太の思い、ちゃんと父上に届いていたんだね)
源太は、報われていたんだ。
「さよりお嬢さま……」
九八は心配そうに声をかけると、風呂敷の上の巾着を手に取って私に差し出した。
「もしかすっとお嬢さまは、津川さまのお考えに賛同できねぇのかもしれやせん。
ですがこれだけは持っていてくだせぇ。これは源太さまの想いです。源太さまだけじゃねぇ、津川さまの想いと、これを必ずお嬢さまに届けると決めたわしの心もこもっておりやす。それを……どうか無下にしねぇでほしいんです」
「九八……」
私の手を取り、九八は巾着を乗せた。
それをジッと見つめる。
源太の血で黒く色が変わってしまった巾着。
最期まで 源太が大切にしていたお守り。
源太の思い。父上の思い。九八の思い。
それぞれの思いが交錯し、すれ違い、また重なる。
それはすべて、相手を大切だと思うがゆえの。
みどり姉さまがそっと私のとなりに寄り添い、九八の言葉に口を添えた。
「さより……受け入れ難いと思うけれど、さよりも認めてあげましょう。父上と源太が国のために殉じたことを。そして……自分の弱さも。
弱くたっていいじゃない。無理して強くならなくていい。お前を支えてくれる人はここにたくさんいるわ。
だから認めることを恐れないで」
――――たくさんの思いが、心を支えてくれる。
たとえ喜代美がいなくとも。源太がいなくとも。
ああ、そうだったじゃないの。
私はいつも、ひとりで立っていたんじゃない。
たくさんの人に支えられて、だから立っていられたんじゃないの。
「違うの……姉さま。強くあるために泣かなかった訳じゃないの。でも……そうね。私は認めたくなかったのかもしれない」
父上と源太の死を。
強くならなければいけないはずの、自分の弱さも。
手のひらに乗った巾着を見つめて、呼びかける。
「源太……」
あなたと父上が、もういないなんて信じられない。
だって、その佇まいも、優しさも、ぬくもりも。
ぜんぶぜんぶ、私の心に刻まれているのに。
『さより』
『さよりお嬢さま』
ほら、その声も、笑顔も。
きっといつだって、思い出せる。
目を閉じれば、ふたりの笑顔が鮮明に浮かんだ。
ほろ…っと、目から涙が落ちた。
今まで泣けなかったのに、とても自然に。
「源太……父上……」
ふたりは今 一緒にいるだろうか。
わだかまりを消して、親子のように労り、笑いあっているだろうか。
まぶたの裏が熱くなる。熱いものはそこで留まらずにふくれあがり、思いとともに次々と外へ溢れ出た。
泣きながら巾着をぎゅっと胸に抱きしめる。
源太が残してくれたもの、与えてくれたもの。
そのすべてを。
もっとたくさん伝えておけばよかった。
数えきれない感謝の思いを、ちゃんと言葉にして。
(本当はね、わかってるの)
たとえ生きて帰ったとしても、源太はきっと、婿になることを承知しないだろう。
金吾さまのおっしゃるとおり、上士の婿に迎えられたとしても、低い身分の出であることは変わらない。
家格の釣り合わない者を婿に迎えるということは、源太だけでなく津川家の者も世間からの謗りを受けることになる。
源太はきっと、それを望まない。
誰よりも自分の事を後回しにする人だから。
源太が自身の感情を優先させたのは、籠城当日の決死隊への志願と、
それから、あの晩の――――。
(忘れない……あの時 伝わってきた体温、力強い腕。
源太は全身全霊で私を守り、包んでくれた……)
「ありがとう、源太……」
離れ屋の中は嗚咽が漏れ、深い悲しみで覆われた。
皆で涙が枯れるまで泣いて泣いて、泣き続けた。
そして私達家族は、当主を失ったこの先の生活に、言葉にならない不安を抱かずにはいられなかった。
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