この空を羽ばたく鳥のように。




「……喜代美、どこへ行ったの?……ねぇ、嘘でしょう?」



今のは夢だったの……?それとも、まぼろし?



指先で唇に触れてみる。


いいえ。喜代美は確かにいた。だって感触が残ってる。この両腕に抱きしめたぬくもりだって。





――――いってしまったんだ。





喜代美のいう、行かなければならなかった遠いところへ。

私を置いて、たったひとりで。





「喜代美……ダメだよ……。今度はまじないも効かないよ……。喜代美がいなきゃ――――」



連れていってくれなかった。

取り残された孤独感に、涙は止まることなく溢れてくる。立っていられず、その場に泣き崩れた。





もう会えない。もう会えない。これが最後の―――。
  




絶望の淵に沈んで涙に(むせ)ぶ。

分かっていたはずなのに。





泣きながら着物の懐に手を入れ、首に下げていた血痕残る巾着を引き出した。


死ぬ間際に源太が私に託したもの。
それはお守りなんかじゃなかった。


巾着の紐を緩め、中身を取り出す。中に入っていたのは、雨と泥ですっかり汚れてしまった桜の刺繍が施された匂い袋と、露草色の小袖の切れ端。そして、ひとつかみもないわずかな髪の毛。



誰のものかは、見てすぐに分かった。



あの日源太が私用と称して城外へ出たのは、実家(さと)の家族へ会いに行くためではなかった。

お城への総攻撃を前にして、源太は心労で倒れた私のために喜代美の行方を探しに行ってくれてたんだ。



そして見つけたのだろう。
変わり果てた喜代美の姿を。



それでも源太がその事を胸にしまい込んで、私に告げないどころか嘘までついて励ましたあと、前線へ向かった理由(わけ)は、喜代美の戦死を知った私が絶望して死を選ぶことを避けるため。


私に、生きる希望を失わせないため。


巾着の中身に気づいたのは、斗南行きの前に巾着を源太のお母上さまに返そうと考えたとき。

お守りと信じて疑わなかった私は、九八をともない源太の実家へ彼の戦死を伝えに訪れ、巾着も遺品として渡そうとした。


けれどお母上さまは巾着に心当たりがないという。
戸惑い、その場で中身を確認して愕然とした。


喜代美が戦死しただろうことは、口づてで耳に入っていた。それでも遺体を確認するまではと、現実を受け入れられずにいた。

しかし目の前に彼の遺品を突きつけられると、喜代美の死を認めざるを得ない。

そしてあらためて、これは私に向けたふたりの想いが詰められた大切なものだったんだと気づいた。





(私は生かされてる……喜代美に、源太に。そしてたくさんの人達に支えられてあの苦難を生きてこれた)





あれからずっと肌身離さず持ち続けている。
手のひらにある遺された想いをぎゅっと握りしめて、心が叫ぶまま泣きじゃくった。










――――コオ――ォッ。










海風とともに心の中を突き抜けるような鳴き声が聞こえ、ハッとして反射的に空を見上げる。



やっと朝日が東の空に昇り、辺りが明るくなってきたところだった。

さっきと同じように、藍色の中に朱色(あけいろ)の光が差し込んでくる空の高い高いところを、白く大きな鳥が一羽、その体躯を煌めかせて北のほうへ飛んでゆく。その光景に目を瞠った。




(白鳥……?)




まさか。あるはずない。

だって白鳥は冬に渡ってくる鳥よ。夏にいるはずがない。




けれど私のもとへ届く鳴き声は、まさしく白鳥のもの。その声は胸を締めつけるほどの切ない響きがあった。

まるで私の気持ちを表してるかのような……。




もしかして、あれは――――――土津さま?








「―――さよりお嬢さま!」



九八が私を見つけて駆け寄り、そばで膝をつく。



「いってぇどうしたってんです?急にいなくなったりして……なんでそんなに泣いてんですか?」


「九八……」



声をかけられて九八に向けた目を、もう一度上空へ戻す。けれど、もうどこにも白鳥の姿はない。



「お嬢さま⁉︎ 」


「ああ……ごめんなさい。白鳥の鳴き声が聞こえたから、どこかにいるんじゃないかって思って……」


「白鳥?」



涙を拭い、空を見上げながら言うと、九八も天を仰ぐ。けれどそれらしいものが見当たらないとすぐに探すのをやめ、ため息をついた。



「お嬢さま、それはきっと空耳です。夏に白鳥なんぞおるわけねぇじゃねえですか」


「そうよね、分かってる。でも確かに聞こえたの」


「疲れておられるんですよ。あっちに着いたら、しばらくお身体を休めやしょう」


「………」



それでもなお白鳥を探し続ける私に、もう一度大きなため息を落とすと()れたように九八は言った。



「お嬢さま。お嬢さまはお城にいた時も村にいた時も いつも白鳥が鳴いてるっておっしゃってやしたが、わしはその場に居合わせて、鳴き声を聞いたり姿を見たりしたことなんか、一度だってありやせんでしたぜ」


「え……っ」



衝撃的な発言に、白鳥を探すのをやめ、九八を振り向く。彼は続けた。



「こんなこと言いたかねぇですけど、それは幻聴ですよ。いろいろとご苦労されて、気が病んでるんじゃねえですかい」


「そんな……嘘よ!だってあんなにはっきり聞こえていたじゃない!
まわりにだって聞こえないはず――――」



そう言いながら、初めて気づく。



待って。じゃあ、今まで聞いていた白鳥の鳴き声は、私にしか聞こえないものだったの?

そんなはずない。だって籠城戦の始めあたりはみどり姉さまや他の人だって白鳥が見えていたじゃない。



(いつからだった?私が白鳥の鳴き声に反応するようになったのは)



あの声にどうしても心を傾けてしまうのは――――。









『白鳥は判別がつき易くていいですよね。大きく白いから、遠目でもすぐそれと分かる』


『私も、白鳥に生まれ変わればよいのですね』


『ならば姉上も、同じ白鳥にいたしましょう!』










(………喜代美?)



あの白鳥は、喜代美だったの?

土津さまではなく?





『さより姉上……私はずっと』





あれはただ見守ってくれていたのではなくて、白鳥に身を変えてそばにいてくれたってこと?



(じゃあ……じゃあ)



砲弾が落ちる危険を報せてくれたのも。

死の淵を彷徨(さまよ)っていた時に導いてくれたのも。

源太と抱き合っていたことを止めたのも。



全部 喜代美が――――?





(ああ……なんてこと!)



すべてが分かったような気がして、拭っても拭っても止まらない涙を、どうしようもできずに泣き続ける。



(何でもっと早く気づかなかったんだろう!)


 
後悔に駆られて自分を責めるとともに漠然と思った。




私はきっと、今生を終えても白鳥にはなれない。


喜代美の後を追えない。


彼のように、すべてを許せる寛容さや、慈しみと清らかさを持ち合わせていないもの。


私のような、自分の都合を押しつけるだけの、貪欲で醜い人間じゃあ、きっと。





死んでも、白鳥になんてなれない―――――――。





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