この空を羽ばたく鳥のように。
気がつくと私は九八の背に乗せられて、夜の雪原の中にいた。
何度も意識を失っていた気がする。それともただ眠っていただけなのか。
じんじんする頬の痛みを感じながら、心地良い揺れに目を閉じ、そのまま身を委ねる。なんだか身体がだるい。疲れているのだろうか。
にぎやかな九八達の声が聞こえていた。
「しっかしあの男、高橋さまにかなり怯えておりやしたねぇ!」
「そうか?ふふ、久方ぶりに刀を帯びたのでな。つい気が昂ってしまった」
「狼避けに持ち出した刀でしたが、意外なところで役立ちやしたねえ!
ですが、あとでお咎めがありやすかねえ、刀で人を脅したなんて。あの男が訴えて役人に知られたら大事になりやしょう?」
「その時はその時だ。どうせ迷惑をかける主君もおらぬしの。いざとなれば、自分の身ひとつで責任を取るまでよ」
「かぁ〜っ!高橋さま、かっこええ!」
どうやら雪はやんだようだ。空に月が出ているのか、わずかな光りが真っ白な雪原に反射して、明かりがなくとも九八達は進んでいる。雪がすべてを平らに覆い尽くしていて、足下の雪は水分が冷えて固まっているから、帰路を一直線に突っ切ることができていた。
ザクザクと凍った雪を踏みしめ、三人は会話しながら進んでゆく。主水叔父さまの声も聞こえた。
「そうじゃな。我われはもう武士とは言えぬ。仕える主君も、身分も俸禄も何もないのじゃ。じゃが武士であったことの誇りだけは失うことはできぬ」
「旦那さま……じゃからお嬢さまにあんな振る舞いをなさったんですか。けんどあれはやり過ぎですよ」
「………」
黙ったままの叔父さまを庇うように、金吾さまが冷徹に答えた。
「いや。さよりどのには気の毒だったが、あれくらいしなければならなかったのだ。男ばかり責め立てては反感を買い、後のち面倒なことになったろう。こちらにも非があったと示さなければ、おさまりがつかなかった」
「ですが……」
九八は私のことを気の毒がり、支える腕に力をこめる。背負われてる私は、すっかり薄くなった綿入れに包まれ、さらにその上から雪にあたらぬよう、頭からすっぽり蓑をかけられていた。
九八の背中が温かくて、皆が助けに来てくれたことがありがたくて、心配かけたことを申し訳なく思った。
「けんど、高橋さまが気づいてくださって良かった!
まさかとは思いましたが、お嬢さまが身売りだなんて考えただけで……情けなく、悔しいです」
「ああ、まこと不甲斐ない。豪勢な土産を持ち帰ってくるゆえ、良い勤め先が見つかったと喜んでいた己に怒りが湧いてくるわ」
九八と主水叔父さまの声が沈むと、金吾さまも込み上げる怒りを抑えるように低くおっしゃった。
「いいえ。貧しさのあまり、そこまで身を落とす婦女もいると耳にしておりましたので、もしやと。
ですが責めるべきはさよりどのではありませぬ。我らがこのような状況に追いやられたのは、ひとえに明治政府の処遇の悪さです。
やつらは我らが呼応して政府転覆を仕掛けることを恐れ、辺境に追いやり、生活基盤を断ち、藩士達を離散させた。完膚なきまでに痛めつけようとしているのです」
「うむ……」
「生活のため、家族を養うために婦女が身を落とすとしたら、それは我ら男の責任です。己が情けなく思います。……幸い、あの男はまだ手をつけてない様子で安堵いたしました」
「………」
わずかに沈黙が流れる。今回は防げたが、あるいはすでに他の男に抱かれているかもしれない。三人がそう思っているだろうことは想像できた。
「……くそッ!何があったとしても、さよりお嬢さまはさよりお嬢さまじゃ!それでいいじゃねぇですか!」
九八の言葉に、金吾さまもうなずく。
「そうだな。たとえ本意でなくとも、弱みにつけこむ輩はたくさんおる。さよりどのに二度とこのような真似をさせてはならぬ。九八、これからは気をつけてさよりどのを見てやってくれ」
「へえ!」
「うむ。わが家の女達にも家長として申しておかねばなるまい。いくら落ちぶれたとしても、誇りを失い、道を誤ってはならぬとな」
三人は頷き合って、足音荒く雪原を踏みしめた。
彼らの思いがありがたくて、泣きそうになるのを必死でこらえた。
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