この空を羽ばたく鳥のように。
旦那さまはしばらく考えたのち、心を決めたようでした。
「よかろう。まこと亡き兄が取り計らった縁談であれば、わしらが拒む理由はない」
「……本当ですか⁉︎ ありがとうございます‼︎ 」
清吉が晴れやかな笑顔を見せて喜ぶ。
旦那さまにとっては、本来なら武家に嫁がせたかったんじゃろうが、よくよく考えてみれば、願ってもない話じゃった。
旦那さまもおなをさまも心なしか安堵の表情を浮かべるなか、みどりさまが憂いを帯びた顔で口をはさみやした。
「ですが叔父さま……。さよりの気持ちも聞かずに決めてしまってよいのでしょうか」
本来ならば問題ない。多少のお膳立てはあるかもしれねえが、もともと婚姻は家族を養う家長が独断で決めるものだ。本人に選ぶ権利はねえ。言われた相手に嫁ぐだけだ。
「かまわぬ。家長はわしぞ。それにこれは、さよりのためでもある」
思った通り、旦那さまはきっぱり言い切りやした。
そうだとは思う。思うが、さよりお嬢さまに関してだけは、複雑な胸の内を拭いきれんかった。
(さよりお嬢さまを想っていた源太さまは、こんな奴よりもっとずっと素晴らしい方だった……!
こんな、恵まれた環境で何の苦労もなく、ぬくぬく育ってきたくだらねえボンボンとは違う!
貧しくて、苦労して、それでも努力を惜しまず真っ直ぐな心のまま生ききった!
源太さまなら、きっとさよりお嬢さまの痛みも悲しみも、すべて包み込んで愛してくれるはずだったのに!
なのになんで、こんな奴なんかにお嬢さまを……!)
どんな不満をぶつけたって、現実的にみれば、今お嬢さまを病から救えるのは、こいつの背後にある財力だけだ。
そういう意味じゃあ、津川さまの人選は間違っちゃいねえ。
(チクショウ……金さえあれば、こんな奴に頼らなくて済むってえのに!)
嬉々とする清吉を見つめながら、くやしさのあまり、膝に置いた拳をギュッと握りしめやした。
(源太さま……申し訳ごぜえやせん)
「しかし、今すぐというわけにはいかぬ。それでもよろしいか」
「はい!もちろんでございます!」
わしの気持ちなんぞ関係なく、旦那さまと清吉のあいだで今後の事が話される。
「実を申せばさよりは今、胃の腑を病んでいての。食事ものどを通らぬ。体調が良くなってから事を運びたい。それまで待っていただけるか」
旦那さまがおっしゃると、清吉は顔色を変えやした。
「なんてことだ、それは大変です!すぐ医者を呼びましょう!ああいや、すぐに家へ連れてまいります!
こちらより我が家のほうが安心して療養ができましょうから!」
清吉の申し出に、しかし旦那さまはためらうそぶりを見せやした。
「できるならそのようにお願いしたいが、話がまとまった途端に厄介事を押しつけて、そちらに迷惑をかけるのも心苦しい」
「何をおっしゃいますか!お許しが出た以上、もう他人ではございません!式は挙げておらずとも、さよりさまはもう私の妻でございます!さあ、すぐにご支度をなされませ!」
「うむ……そうだな。そのほうがいいのかもしれぬ。みどり、さよりに支度を」
すっかり亭主気取りの清吉に腹立たしさを感じるも、旦那さまに促されたみどりさまがしぶしぶ立ち上がって、となりの部屋の戸を開けやした。
すると間髪入れずに短い悲鳴が響きやした。
「お……叔父さま!さよりがおりませぬ!」
「何じゃと……⁉︎ 」
あわてて立ち上がり、旦那さまと一緒にとなりの部屋へ駆け込みやした。
部屋の中は床がのべてあるだけで何もない。掻巻はめくられ、そこに寝ていたはずのさよりお嬢さまのお姿もありやせん。
縁側の戸が人ひとりすり抜けられるほどに開いていて、そこから寒風が吹き込み部屋を冷たくしておりやした。
「あ、あの子……!あんな身体でどこへ行っちゃったのかしら!」
みどりさまが泣きそうな顔でうろたえ、それを見たとたん頭にカッと血がのぼりやした。
「……てめえがいきなり押しかけてきたせいじゃぞ‼︎ どうしてくれんじゃあッ‼︎ 」
激昂のあまり、同じく部屋をのぞいて呆然としていた清吉の胸ぐらを掴むと、その背中を思い切り壁に叩きつけやした。情けない声が清吉の口から漏れやす。
驚いたみどりさまが、わしを止めようとしがみつきやした。
「何してるの!やめて九八!」
「だってこいつのせいでしょう⁉︎ さよりお嬢さまは、こいつの嫁になるのが嫌で逃げ出したんでしょう⁉︎ 」
「だとしてもその人を責めるのはお門違いよ!お願いだから手を離して!」
旦那さまが空っぽになった床に手をおきやして、まだぬくもりがあるか確認してから声高におっしゃいやした。
「落ち着け、九八!今はさようなことをしている場合ではない!床は冷えきっておるが、あの身体ではそう遠くへ行けまい。手分けしてさよりを探すぞ!」
「へえ‼︎ 」
清吉から乱暴に手を離すと、土間へ下りて手早く毛皮の袖なしを着込み、用心のため鉈を帯に突っ込みやした。外をのぞくと、さっきまでの青空はどこへやら、鉛色の空に雪がちらついてきてまいりやす。
「なをとみどりは、ありったけの燃料を焚いて部屋を暖かくしておけ。あと湯の用意も頼む。できるだけ多く沸かしておいてくれ」
「……はい!」
旦那さまもおふたりにそう言い置きやすと、毛皮を着込み蓑をまとわれやした。おふたりもあわただしく動き出しやす。
清吉が蒼白顔になりながらも声をかけてきやした。
「わ、私も探します……!」
「勝手にしろッ!言っとくが、お嬢さまにもしものことがあったら、全部てめえのせいじゃかんなッ!」
「………!」
吐き捨てるように言い、言葉を失う清吉を待ちもせずに、笠をかぶって外へ飛び出しやした。
まず縁側にまわり、さよりお嬢さまの足跡が残ってねえかと確認しやした。
縁側の下は足跡どころか、お身体を倒されたんじゃあねえかと思えるような大きな跡が、水雪と土でぐちょぐちょになって残っておりやす。
(まずいな……もしかしてお嬢さま濡れちまってんじゃねえか?裸足だし、早く見つけねえとお身体が冷えて大変なことになっちまう……!)
雪はどんどん降ってくる。このままじゃあ足跡まで消えちまう。
思わずチッと舌打ちが出る。
そのまま足跡を追って駆け出しやした。
「さよりお嬢さま――――っ‼︎ 」
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