この空を羽ばたく鳥のように。
(な……なんじゃったんじゃ、今の……)
驚きと怖さのあまりしばし呆然としやしたが、さよりお嬢さまのことを思い出してあわてて駆け寄りやした。
「さよりお嬢さま‼︎ しっかりしてくだせえ!」
抱き起こして声をかけるも、反応がありやせん。
顔をお嬢さまの口もとに近づけると、かすかに息があるようでした。
不思議なことに、あれだけ雪が降っていたのに、お嬢さまの上には少しも雪が降り積もっていやせん。
けんどお身体は冷たくなっておりやした。
(大変だ……!)
すぐさま着ていた毛皮の袖なしを脱いでお嬢さまを包むと、抱き上げたまま足早に長屋へ向かいやした。
転んでお嬢さまを投げ出さないよう、足に力を入れて一歩一歩踏みしめながら来た道を戻りやした。
そのあいだずっと、さっき起こった数々の不思議を考えておりやした。
さよりお嬢さまのところまで導いてくれた白鳥。
お嬢さまのそばで佇んでいた若い武士。
ふたりのまわりだけ、なぜか雪が溶けて消えていたことも気になりやした。
(あいつ…わしが来るまで、お嬢さまを守ってたんか)
ちらりと腕に抱きかかえたお嬢さまを見下ろして、あの若い武士は誰じゃったんだろうと考えやした。
(もしかして、あいつ……いいや、あのお方は……)
お嬢さまが見つからなくて途方に暮れているところ、わしがお嬢さまを抱きかかえて長屋へ戻ってきたので、家族の皆さまは涙を浮かべて喜びやした。
暖かくした部屋で、すぐさまお嬢さまの濡れたお身体を熱くした手拭いで拭き清めて着替えさせたあと、懐に温石を抱かせて布団に寝かせました。
清吉が綿の厚い布団や綿入れ、燃料などを家から持ってくるよう使いを出していたので助かりやした。
おかげで、お嬢さまのお身体を温めることが十分にできやした。
あとは目を覚ますだけ。そう思い、家族の皆さまは休むこともせずに看病を続けやした。
わしも津川さまと源太さまに祈りながら、お嬢さまが気づかれるのを待ちやした。
夜半になり、清吉が呼んでくれた医者も到着して、気付け薬を飲ませたり、いろいろと手を尽くしてくださったのですが、
とうとうさよりお嬢さまは、一度も目を覚ますことなく、明け方に息を引き取られたのでした――――。
亡くなられたさよりお嬢さまのカサついた唇に、静かに末期の水を含ませる。身体を綺麗に拭き清めたあと、肌身離さず持ち続けておられた源太さまの巾着も首に返しやした。
ご家族の悲しみは例えようもないものでした。
皆、多かれ少なかれ、ご自分を責めておいででした。
あの時、清吉の縁談をもっと慎重に考えていたら。
さよりお嬢さまのお気持ちを聞いていたら。
部屋を抜け出したことにもっと早く気づいていれば。
そしてすぐに見つけていれば。
いくつもの「たられば」を繰り返し考えても、もうどうにもなりやせん。ご家族もわしも後悔のあまりうなだれ、泣き咽ぶしかありやせんでした。
生意気で、突拍子もないことばかりして。
いつもさよりお嬢さまには振り回されてばっかだった。
それでも どこか憎めなくて。
身分の上下関係なく、親しく接してくれて。
ああ、源太さまはこういうところがお好きじゃったんだろうなぁと、何となくわかった。
だからお嬢さまには元気でいてもらいたかった。
大切な人を失っても、生きていてもらいたかった。
別の幸せを見つけてほしかった。
三日後、慌ただしく葬儀を済ませ、さよりお嬢さまは母君と同じ墓所に葬られやした。
急な訃報を聞き駆けつけた高橋さまとえつ子さまも、お嬢さまの変わり果てたお姿に涙を浮かべ、沈痛な面持ちで野辺送りに加わってくださいやした。
清吉もまた落ち込みがひどく、それまで葬儀やら埋葬やらを家の財力で尽くしてくれましたが、一段落するとがっくりきたようです。見るも哀れな姿でした。
「おい清吉……こないだは悪かった。さよりお嬢さまのためにいろいろと尽くしてくれて、ありがとな」
参列した方がたが長屋に戻り一旦落ち着くと、縁側に肩を落として座っている清吉に、わしはそう言って詫びやした。
清吉は愛しく思った娘がようやく手に入るところを、二度もおあずけを食らったんです。そうして手を尽くした甲斐なく、娘は永遠に失われやした。
「いいえ……悪いのは私でございます。九八さんが言ったように、私が無理に縁談を進めようとしたから、さよりさまは逃げ出したのですね。
そうして、今までよりもっとずっと、遠いところへ行ってしまわれた……」
「……いいや。そうじゃねえのかもしんねえ」
「え……?」
葬儀に際して幾分落ち着いてきたわしは、あの時のことをずっと考えておりやした。
縁談を嫌って逃げ出したにしろ、お嬢さまの体力で、どうやってあんなところまで行かれたのか。
そして、さよりお嬢さまを守るようにそばにいた若い武士。わしに気づいて、寂しそうに笑って消えた。
(もしかしてあのお方は、さよりお嬢さまを他の男に取られたくなかったんじゃ……)
あの不思議な体験は、まだ誰にも話しておりやせんでした。まず信じてもらえないだろうし、自分の中でもうまく話せる自信がなかったんです。
清吉がわしの顔をじっと見ておりやした。
さっきの言葉にどんな意味があるのかを促しているようでした。
「……いや、何でもねえ。とにかく清吉、あんまり自分を責めるんじゃねえよ」
ポンと軽く肩を叩くと清吉から離れやした。
わしが誰よりもその悲しむ心に寄り添い、お慰めしたかったお方は、他にいるからです。
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