この空を羽ばたく鳥のように。




 ――――その年の暮れも押し迫った頃に、京の都ではたいへんなことが起きました。



 慶応二年(1866年)十二月二十五日。

 わが藩主・松平容保さまが何よりも頼りにされておられた孝明天皇がご崩御なされたのです。



 十二月十ニ日に発熱された天皇さまは、十六日に発疹が発見されたため御典医から天然痘と診断され治療を受けておられました。

 十七日には天然痘と公式発表し、ニ十六日には治癒するとされました。

 十八・十九日の公式見解にも「益々御機嫌よく」、発疹も良性であると発表されました。

 ニ十一~ニ十四日の公式報告にも、食欲も回復し発疹も収まり順調に治癒に向かっているとされましたが、
 その夜から容態が急変、その後危篤となり、ニ十五日の午前中にご崩御なされたのでありました。



 順調に回復していると信じていた容保さまにとっては実に衝撃的なことであり、

 回復傾向にあったはずの病状が突然悪化し急死したことから、
 孝明天皇の死因は毒殺であったのではないかと、世間ではまことしやかに喧伝されたほどでした。




 失意に暮れる容保さまは会津への帰省を望みますが、朝廷と幕府から頼みの綱とされ、京に留まり続けておりました。




 けれども それからの会津藩は、急速に窮地に追い込まれてゆくのです。










 ※崩御(ほうぎょ)……天皇・皇后などを敬ってその死をいう語。

 ※天然痘(てんねんとう)……痘瘡(とうそう)ウイルスの感染によって起こる伝染性感染症。

 ※喧伝(けんでん)……盛んに言いふらして世間に知らせること。


 .
< 93 / 566 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop