いつか、星の数よりもっと
ドアが閉まると、暗い廊下には貴時と緋咲のふたりだけになった。
本人の申告通り、160cmの緋咲よりその目は少し上にある。
薄暗い中、間近で見下ろされると、肌にその体温まで伝わってくるように思えて……。
きっと狭い玄関のせいだろうと、リビングに足を向けた。

「アップルパイ、賞味期限今日中なの。早く食べよ」

駆け出す緋咲を見て、貴時は幼い頃から変わらない笑顔を見せる。

「そんな一秒を争うことじゃないのに」

リビングに戻ると、貴時はあたらしくコーヒーを淹れ始めた。
フィルターを交換し、豆を量って入れ、水を入れる。

「新聞、見たよ」

チラリと緋咲を見てから、ああうん、と素っ気ない返事をする。

「あの写真と、なんか違うね」

「あれ去年のだもん。ひどいよね」

去年、高校一年生であれば、まだ中学生の名残があっただろう。
今コーヒーを淹れる手慣れた動作にあどけなさは残っていない。

「昇段してみんな喜んだでしょ?」

「うん。でもまだ三段だから」

昇段は本当に嬉しいし、お祝いもさんざんされたけれど、結局のところまだ道半ば。
四段になれなければアマチュアに甘んじるしかない。
貴時に浮わついたところはなく、空っぽになっていた緋咲のカップに、熱々のコーヒーを注いだ。
ありがとう、と受け取る緋咲のクリップでまとめた髪の毛が少しだけほつれていて、エアコンの風に揺れている。
その毛先が、剥き出しの首筋と鎖骨をふわりふわりと撫でていた。
入れたくもない砂糖とミルクをコーヒーにぶち込んで、貴時はイスの角度を少し変える。
そんなことには気づかず、緋咲はティッシュで指先を拭っている。
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