いつか、星の数よりもっと
「イベントでの指導って、よくやるの?」
サクサクという音ばかりでは空気を持て余して、緋咲は大きなリンゴを飲み込んだ後にそう聞いた。
「将棋のイベント自体多くないからそれほど。でも月に1回、大槻先生のところで指導してるよ」
「奨励会員って貴重だもんね」
小学校のときからすでに、将棋好きの先生にせがまれて対局させられていたし、高校でもそうだ。
面倒臭いと緋咲なら思うけれど、貴時は「駒落ち(ハンデ)戦もそれはそれで勉強になるから」と嫌な顔せず付き合っている。
「俺はどうしてもネット対局が多くなるし、実際に盤を挟める機会はありがたいんだけど」
「三段になったし、需要はますます高まってるだろうね」
「でも、そればっかりでも自分の勉強ができないから断ってる」
将棋は強い人と指すことが一番の上達法でもある。
従って強ければ強いほど需要は高まるのだけど、県出身の棋士がおらず、県内で唯一の奨励会員でもある貴時の指導を受けたい愛棋家は全県中にいる。
将棋会館のある東京や大阪近郊であれば、棋士や奨励会員が交代で対応できるけれど、貴時の場合は断る以外になかった。
指導・普及も重要だが、何より一番大切なのはプロになることだから。
「あ、でも明日のイベントはちょっと大きいから行ってくるよ」
「どこでやるの?」
「県民センター。子ども向けのイベントと合同で将棋イベントもやるんだ」
県民センターは地元ではよくイベント開催場となるところで、県民にはよく知られている場所だ。
児童わくわく広場という子ども向けの施設が隣接されていて、週末は家族連れで賑わう。
「おじちゃんもおばちゃんも仕事でしょ? どうやって行くの?」
「普通にバスで」
ニヤニヤという不穏な笑みを浮かべて緋咲がテーブルに身体を乗り上げた。
俯きがちにアップルパイをかじる貴時の顔を下から覗き込む。
「送ってあげようか? もちろん車で」
「……大丈夫なの?」
「失礼な! 教習所も学科試験も、全部ストレートで通ったよ!」
実際の運転経験に触れないところが怖かったけれど、貴時の意志はすでに無視されつつあった。
「トッキーが将棋するところも久しぶりに見たいし。楽しみだな~」
貴時の顔を覗き込んだまま、緋咲はにこにこと笑う。
「ひーちゃん。掃除機かけるから、早く食べちゃって」
「あ、そうだね」
こっそりついた貴時のため息は、アップルパイのカスをほんの少し遠くへ飛ばしただけだった。