いつか、星の数よりもっと
緋咲に将棋のことはわからない。
駒の種類も王将しか知らなかったし、じっと見ていても何をしているのかわからなかった。
だから、貴時の表情のない顔が少しずつ紅潮していく様子だけを、ただじっと見ていた。
少なかったはずの男性の駒は、今貴時よりずっと多い。
「負けたと思ったときは、何て言えばいいか知ってますか?」
しばらく動かずに盤面だけを見ていた貴時が、無言で首を横に振った。
「『負けました』って言うんです。どんなに悔しくても、負けたときは自分でそれを認めなければなりません。それができないのは、負けることよりずっと恥ずかしいことです」
唇を噛み締めてうなずいた貴時の目から涙がこぼれ落ちた。
込み上げる嗚咽を飲み込んでいるせいで、言葉を発することができないのだ。
「負━━━━━」
嗚咽に飲み込まれながら、貴時は投了を告げた。
男性は慰めるでもなく、落ち着いた表情でそれを見ていたけれど、
「聞こえません」
と厳しく告げた。服の袖で涙を拭っていた貴時は、すぐに新しい涙を溢れさせながら、
「負けました」
今度ははっきりそう口にした。
男性は表情を緩めて、
「ありがとうございました」
と一礼してから、駒をパチパチと動かした。
「ここ」
男性は盤上の銀将を指差す。
「この局面で銀を上がった踏み込みはよかったです。君はもっともっと強くなれる。だから、また来てください」
これまで素直に従っていた貴時が、ここで初めて返事をしなかった。
「もう一回!」
男性がしまおうとした駒を手で押さえて繰り返す。
「もう一回! もう一回、おねがいします!」
部屋にいるほぼ全員が貴時を見ていた。
赤ちゃんのときの泣き声ですらおとなしかった貴時には、初めてと言っていいほどの大きな声だったのだ。
しつこく「もう一回!」を繰り返す貴時に、男性も根負けしたようで、
「じゃあ、もう一回だけ」
と駒を並べ出した。
結果から言うと、次もまた貴時が負けた。
今度は泣きはしなかったものの、赤い顔で悔しそうに俯いている。
男性はそんな貴時に構うことなく、腕組みして盤面を睨んでいた。
「……もう一回、やってみましょうか」
今度は男性からそう言い出して、貴時は一度嬉しそうに笑ったあと、すぐまた真剣な表情に戻って駒を並べる。
三度目も貴時は負けた。
唇をあまりに強く噛み締めるので、切れてしまわないか緋咲は心配になっていた。
「おうちの電話番号は知ってますか?」
男性からの質問に、貴時は相変わらず俯いたまま首を横に振る。
「トッキーの家の電話番号は知らないけど、私の家から連絡してもらえると思います」
緋咲がそういうと、男性は席を立ってカウンターの中に緋咲を案内した。
「時間も遅くなってきたし、連絡を取ってみてもらえませんか?」
駒の種類も王将しか知らなかったし、じっと見ていても何をしているのかわからなかった。
だから、貴時の表情のない顔が少しずつ紅潮していく様子だけを、ただじっと見ていた。
少なかったはずの男性の駒は、今貴時よりずっと多い。
「負けたと思ったときは、何て言えばいいか知ってますか?」
しばらく動かずに盤面だけを見ていた貴時が、無言で首を横に振った。
「『負けました』って言うんです。どんなに悔しくても、負けたときは自分でそれを認めなければなりません。それができないのは、負けることよりずっと恥ずかしいことです」
唇を噛み締めてうなずいた貴時の目から涙がこぼれ落ちた。
込み上げる嗚咽を飲み込んでいるせいで、言葉を発することができないのだ。
「負━━━━━」
嗚咽に飲み込まれながら、貴時は投了を告げた。
男性は慰めるでもなく、落ち着いた表情でそれを見ていたけれど、
「聞こえません」
と厳しく告げた。服の袖で涙を拭っていた貴時は、すぐに新しい涙を溢れさせながら、
「負けました」
今度ははっきりそう口にした。
男性は表情を緩めて、
「ありがとうございました」
と一礼してから、駒をパチパチと動かした。
「ここ」
男性は盤上の銀将を指差す。
「この局面で銀を上がった踏み込みはよかったです。君はもっともっと強くなれる。だから、また来てください」
これまで素直に従っていた貴時が、ここで初めて返事をしなかった。
「もう一回!」
男性がしまおうとした駒を手で押さえて繰り返す。
「もう一回! もう一回、おねがいします!」
部屋にいるほぼ全員が貴時を見ていた。
赤ちゃんのときの泣き声ですらおとなしかった貴時には、初めてと言っていいほどの大きな声だったのだ。
しつこく「もう一回!」を繰り返す貴時に、男性も根負けしたようで、
「じゃあ、もう一回だけ」
と駒を並べ出した。
結果から言うと、次もまた貴時が負けた。
今度は泣きはしなかったものの、赤い顔で悔しそうに俯いている。
男性はそんな貴時に構うことなく、腕組みして盤面を睨んでいた。
「……もう一回、やってみましょうか」
今度は男性からそう言い出して、貴時は一度嬉しそうに笑ったあと、すぐまた真剣な表情に戻って駒を並べる。
三度目も貴時は負けた。
唇をあまりに強く噛み締めるので、切れてしまわないか緋咲は心配になっていた。
「おうちの電話番号は知ってますか?」
男性からの質問に、貴時は相変わらず俯いたまま首を横に振る。
「トッキーの家の電話番号は知らないけど、私の家から連絡してもらえると思います」
緋咲がそういうと、男性は席を立ってカウンターの中に緋咲を案内した。
「時間も遅くなってきたし、連絡を取ってみてもらえませんか?」