いつか、星の数よりもっと
考えるにしても、考える取っ掛かりさえ掴めない。
ちらっと大槻を伺うと、変わらない穏やかで落ち着いた表情をしているが、甘えを許してくれそうにはなかった。
わからないまま何も考えずにまたキリンを動かすと、大槻はほんの少し口角を上げて、ライオンでそれを取る。
緋咲の側から取り返すすべはなかった。

そうして5分とかからず、緋咲の駒は盤上のライオンひとつになっていた。
逃げ道はなく、目の前のひよこを取ろうと手を伸ばすと、

「そこはゾウが利いてるから取れませんよ」

と、対局が始まって以来、初めて大槻が口を開いた。
大槻の言う通り、ひよこを取ったら次の手で緋咲のライオンは取られてしまう。

「あの……これ、どうなってるんですか?」

たった12マスの状況を把握することすら、緋咲の手には余っていた。

「詰みですね」

「詰み……」

将棋を指せない緋咲でも、その言葉の意味はわかる。

「自分の玉が詰んでいたら、どうするべきかわかりますか?」

いつか聞いたことのある声だった。
きっとこの声で、たくさんの子どもたちを、そして貴時を導いてきたのだろう。

「…………負けました」

盤に額がつくくらい、緋咲は深く頭を下げた。

「ありがとうございました」

大槻も丁寧に礼を返す。

「こんなにかんたんそうなのに、結構難しいんですね」

笑ってそう言ったものの、その目はほんのり潤んでいる。
プレッシャーから解放されてホッとした部分もあるけれど、こんな子どものオモチャのようなものでさえうまくできない自分が情けなくもあった。

「将棋はとても難しいものですから」

持っていた駒を盤上に戻しつつ、大槻は笑う。

「それにね、今はちょっとだけ、いや、結構意地悪をしました」

「意地悪?」

大槻は駒を最初の位置に戻し、そこからひとりで駒を動かしていく。
緋咲には何をしているのかわからなかったが、それは今の対局を再現していた。

「詰ますだけなら、ここでキリンを打てば詰んだんです。だけど守口さんがあまり考えてないみたいだったので、わざと駒を全部取ってやりました」

身ぐるみ剥がされたときの、屈辱と心もとなさを思い出し、きれいに描かれた緋咲の眉が歪む。
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