いつか、星の数よりもっと
跨線橋の急坂は、小さな自転車の貴時には上れず、いつも降りて引っ張って歩く。
まだ5時だというのに世界はフィルターを通したように薄暗く、弱々しく不安定な自転車のライトは、行く先を明るくしてはくれない。
足取りが重いのは、自転車のせいでも、坂道のせいでもなかった。
『将棋はただのゲームです』
大槻からそう言われたこともショックだった。
親と一緒なら来てもいいと言われたが、実際には禁止に近いものだろう。
これが書道やサッカーであれば、何も言われなかったような気がするからだ。
事実、ひと昔前はガラの悪い大人が煙草を吸いながら溜まっている道場が存在したことも確かだった。
大槻のところも含め現代の将棋教室は健全であるが、出入りする大人と自由に将棋を指す空間が、習い事と認められるのは難しいかもしれない。
将棋を好きなのはダメなことなのかな。サッカーや勉強の方がよかったんだろうな。
上り坂が終わっても自転車に乗ることを忘れて、足をひきずるようにただ前に進む。
いつもの倍以上時間をかけて帰ったせいで、団地に着く頃にはすれ違う人の顔さえはっきりわからないほど、あたりは暗くなっていた。
「あれ? トッキー?」
やってきた自転車のライトがまぶしくて目を伏せていたら、頭の上で声がした。
「すっかり寒くなってきたねえ。今将棋の帰り? 相変わらず、頑張ってるね」
緋咲の自転車のかごには、少し離れた大きなスーパーのビニール袋が入っていた。
中身は牛乳らしい。
緋咲は牛乳が嫌いだから、頼まれたものに違いない。
身長も、自転車のサイズも違う緋咲を貴時は見上げる。
その差は、いつも以上に高く感じられた。
ひーちゃんなら、ひとりでお使いも頼まれる。きっと将棋教室に通うことも許される。その自転車で、どこまでも行けるんだ。
実際のところは六年生といっても緋咲とて小学生で、貴時と同じルールに縛られている身だった。
けれど、このときの貴時はそんなことは知らず、緋咲は自分の無力を強く感じさせる存在だった。