いつか、星の数よりもっと
「将棋を指すのは、そんなに悪いことなのかな?」
前触れもない質問だったのに、緋咲は間髪入れず、
「なんで? いいことでしょ?」
と、あっけらかんと答えた。
「でも、足が速い方がよかったよね? 頭がいい方がよかったよね? 将棋じゃない方がよかったよね?」
好きなものが勉強だったら、人気のあるサッカーだったら、もっと人生に役立つものだったら、理解されやすいのは事実である。
将棋はただのゲームでしかなかった。
貴時の様子がおかしいと感じた緋咲は、自転車を降りてストッパーをかけた。
同じように貴時の自転車も停めてやり、暗くて見えにくい分、貴時のすぐ目の前にしゃがんで顔を見る。
「トッキーは足も遅くないし、勉強だってできてるよ。将棋ができすぎちゃってるから、ちょっと目立たないけどね」
優希にはああ言われたけれど、貴時は決して運動も勉強も不出来なわけではなかった。
飛び抜けてできるわけでもなかったから、将棋だけが異常に得意なことは否めないが。
「トッキーは将棋が好きなんだから、将棋を一生懸命頑張ればいいんだよ」
それは単純な励ましだけど、貴時が今一番欲しい言葉だった。
貴時の頬を涙がとめどなく流れていく。
おつかい帰りの緋咲は、それを拭ってやるハンカチもティッシュも持っていない。
かつて、歩き始めたばかりの貴時をさんざん支えたように、緋咲はこのときも、倒れそうな貴時を全身で支えた。
行き場のなかった貴時の涙は、嗚咽とともに緋咲の肩にどんどん染み込んでいく。
「トッキー、何かを好きになることに、悪いことなんてないよ」
貴時はもう答えられず、緋咲に強くしがみつく。
緋咲からは桃のようなやさしい匂いがした。
「例え他に何もできなくたっていいじゃない。大切なものは少ない方がいいよ。トッキーの手は小さいから、たくさんだとこぼれちゃうって」
このとき貴時の目には、緋咲の肩越しに一面の星空が見えた。
秋の日暮れは早いとは言え、まだ夜の入り口。
まして住宅街でそんな星空など見えたとは思えない。
後にあれは事実ではなく、ただ自分の心が見せた幻だったのだろうと貴時は回想する。
それでも、星によく似た希望の光は、何年経っても色褪せることなくかがやいて、貴時を支え続けた。
地平線に日の名残はあるものの月はなく、澄んだ夜空に痛いほどの星がきらめいている。
貴時の頬に触れる緋咲の真っ黒な髪の毛にも、そのかがやきが照り映えるようだった。
あたたかい緋咲の腕と星の光。
貴時の小さな身体は、そのふたつで満たされていった。