いつか、星の数よりもっと
就職すると同時に買った車の色は、オリオンブルーというらしい。
目立つその色のすぐ近く、駐輪場でよく知る背中を見かけて、緋咲は踊るような足取りで近づいた。
「ねえねえ少年、暇ならお姉さんとデートしない?」
高校指定のシールを貼った自転車を、貴時は慣れた仕草で停めているところだった。
「しない」
珍しく不機嫌を隠さずに、貴時は自転車に鍵をかける。
「えー! 行こうよ。おごるから」
シャツの袖を引っ張ったら、それも乱暴に振り払われた。
「行かない」
目も合わせずに貴時は自宅へ帰ろうとする。
「トッキー……」
久しぶりに会えた高揚感が一気にしぼんで、反動でじわっと涙が滲む。
何がそんなに気に障ったのか、それとも貴時にどんな心境の変化があったのか、緋咲には理解できなかった。
緋咲にとって貴時は昔からずっと子どもだったから、まさか子ども扱いしたことを怒るなんて想像できるわけがない。
貴時も貴時で、緋咲に対しては剥き出しになってしまう感情を、コントロールできるほど大人ではなかった。
しかし声の変化を敏感に察知して、貴時は振り返った。
慌てて緋咲のところに戻るけれど、涙ぐむ彼女を前にどうしたらいいのかわからず、さっきまでの強気な態度は、砂より脆く崩れ去る。
「俺におごらせてくれるなら、行ってもいいよ」
緋咲はうるんだ目で不思議そうに貴時を見上げた。
「なにそれ? 男のプライドか何か?」
「まあ、そんなところ」
「高いよ?」
「いいよ」
「国際ホテルのティーラウンジで、パンケーキダブルとか頼んじゃうよ?」
「その格好で?」
デニムにカットソーはともかく、ヒールのないサンダル履きの足を見下ろして、ティーラウンジという選択肢は消えた。
しかし元よりパンケーキやコーヒーが目的ではない。
さっきの不機嫌の理由はどうあれ、付き合ってくれるとわかった途端、現金な緋咲の涙はまばたきひとつで吹き飛んだ。
「じゃあ、私の車乗って。高ーーーいコーヒーでも飲みに行こう!」
自転車で冷えたのか、冷たい貴時の手を引いて車に向かう。
何気ないその手を、貴時もそっと握り返した。