いつか、星の数よりもっと
夏の名残が失われて、18時を過ぎると夜の気配がする。
子どもだと思っていなくても、高校生を連れ回すには不適切な時間帯である。
緋咲自身は母親の顔色をうかがいつつ、月明かりの下遊んだものだが、立場が違えば行動も変わるものだ。
「帰ろっか」
古く男女は朝の訪れを恨んだものであったが、貴時との別れの時間は一番星が告げる。
これが成人相手なら、いや、せめて高校を卒業している人であれば「もっと一緒にいて」と袖を引くところなのに。
楽しかった時間を惜しむ以上に重い気持ちで、緋咲は車のハンドルを握る。
助手席の貴時は黙って座っていた。
その目はフロントガラスを通して行く先だけを見ている。
昔からあまり自分の話をしない貴時が何を思い、何を望むのか、緋咲には想像もつかなかった。
「トッキーは免許取らないの?」
田舎の移動のメインは自家用車である。
緋咲もそうであったように、大抵は高校卒業後か大学生のうちに免許を取って、就職と同時に自分の車を持つ。
「昇段してから考える」
今の貴時からは、何を聞いてもこの答えしか返ってこない。
そして、昇段できないなどという考えもない。
「昇段したらますます忙しくなっちゃうね。免許取って、映画観て、旅行も行って。あと……恋愛も」
貴時は返事をせず、窓枠に肘を乗せて、連なるテールランプを眺めていた。
「今だってたまにしか会えないけど、全然会えなくなっちゃうのかな。トッキーが団地を出ちゃったら、すれ違うこともなくなるもんね。トッキーをテレビやネット中継でしか見られなくなるんだろうな」
すれ違う車のライトが、表情のない緋咲の顔の上を次々に通り過ぎていく。
「それで何年かしてお正月に実家帰ったとき、『家族が増えました』って年賀状見つけたりして」
「俺、ひーちゃんの家には年賀状出してない」
呆れたような温度の低い声で、ようやく貴時は反応した。
車の振動と一緒に、その声は胃の奥に響く。
「そんなことより、曲がるところ通り過ぎるよ」
「え? ……あ!」
交差点を通り抜けながら、曲がるはずだった道を見送る。
「ごめん。次の道曲がって戻るから」
道路は一本道に入り、しばらく曲がれるところはない。
「いいよ、ゆっくりで。ところでさ、」
ダッシュボードの上から、貴時が紙を持ち上げた。
「これ、行かなくていいの?」
「…………忘れてた」
一体どこまでジャケットを取りに行っているのか。
貴時はクリーニングの引き換え券にある住所を確認して、頭の中に地図を開く。
「次の信号を左」
「……はい」
ふたりの“デート”はもう少しだけ延長された。