いつか、星の数よりもっと
座席の8割が埋まった頃、『これより梅村一真王位対市川貴時三段の公開対局を行います』とアナウンスがあった。
後方には沙都子と寛貴の姿もある。
席を譲ろうとしたのに、「緊張しちゃって、目の前でなんか見られないわ。こんな大舞台、どうしよう……」と離れたところから祈るように見守っている。
改めて入場した梅村と貴時は、客席に向かって一礼してから壇上に上がる。
あくまで非公式戦なので、盤駒はイスとテーブルに用意されていた。
梅村が一礼して駒袋から駒を出す。
貴時もそれに応え、しずかな目で待っていた。
梅村が王将を取り、次に貴時が玉将を置く。
金将、銀将、桂馬……。
その間、大盤の前では女流棋士がふたりのプロフィールを紹介していた。
「棋士ってみんな、あんなに手つきがきれいなんですか?」
指先で駒の山を崩し、目的の駒を見つけるとやさしくつまみ上げる。
ふわっと空中に舞うような動きのあと、祈るようなしずけさで盤上に駒を置く。
パチリ、パチリ、パチリ、パチリ、
集音マイクなしでも、駒音は会場の隅々までよく届いていた。
「きれいですね。それぞれ個性は出ますけど、みんなきれいです。私たちも何十年と将棋を指してますが、どうも何か違う。盤に向かう覚悟の差かもしれません」
持ち時間は10分。
使い切ったら一手30秒以内。
まさに小学生将棋名人戦と同じルールで対局は始まった。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
先手となった貴時は3秒ほど目を閉じて、それからゆっくり右手を持ち上げる。
▲7六歩
まず角道を開ける手だ。
この一手ですでに戦形は限定されるけれど、梅村は迷いなく「△3四歩」と自らも角道を開けた。
お互い探り合いながら戦法を決め、駒組をしていくのが序盤である。
しかしここで大きく形勢を損ねると、挽回するのは難しい。
貴時の方は慎重になっているのか、手を止めて考えている。
「ん?」
隣で大槻が声を出したので、緋咲も小声で話しかける。
「何かあったんですか?」
貴時は30秒以上考えて次の手を指した。
持ち時間10分なので、それなりに長考だ。
「……いや、まだわかりません」
開けた角道を今度はお互いに止め、梅村はごく当たり前のように飛車を振った。
向かい飛車と言って、相手の飛車と同じ筋に飛車を移動させる戦法だった。
「もしかしたら、」
大槻がそう言ったとき、貴時が飛車を掴み、すうっと盤の左に寄せた。
「……振った!」
居飛車党であるはずの貴時が、飛車を振った。
それも梅村が得意とする四間飛車。
解説の棋士や見ている将棋ファンも、楽しそうにざわついている。