月は紅、空は紫
 若者がこの『あばれ長屋』に住み着いてから、五年になろうとしている。
 ある日、ふらっと京に現れて、そのままこの長屋に住み始めた。
 のんびりとした性格と、表裏の無い性格は長屋に古くから住んでいる住人にも好まれて、いつの間にか若者は違和感ひとつ無く長屋の住民となっている。

 若者の家の玄関には『空診療所』という、ボロボロの板に墨でミミズがのたくうような文字で書かれた看板が掲げれている。

 『あばれ長屋』の間取りは、どの家も変わらないものだが、医薬品や診療具が置いてある若者の部屋は、他のどの家よりも狭く見える。
 猫の額よりも狭い土間から、すぐに診療所兼居間となっている四畳間に繋がる。その奥には二畳ほどの物置があって、棚の上には見るからに怪しげな薬品の材料が置かれている。

 そんな診療所の居間の中で――若者は昼間から布団を敷いて気持ち良さそうに寝息を立てていた。
 ただの昼寝、というわけでは無さそうである。
 規則正しい寝息と、時折混ざるイビキ。
 完全に深い眠りに落ちているようであった。
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