月は紅、空は紫
一刀流という流派は戦国時代から江戸初期にかけて活躍した剣客、伊藤一刀斎が興した流派である。
彼自身、中条流の免許皆伝である鐘巻自斎に剣術を学び、妙剣、絶妙剣、真剣、金翅鳥王剣、独妙剣を授けられたとされている。
他にも、秘太刀といわれる払捨刀や、無意識のうちに人を斬ったとされる夢想剣を使ったという話などが伝わり、生涯で真剣勝負を挑むこと三十三回、ただの一度も負けたことは無かったと言われる。
その伊藤一刀斎が独自の修行により編み出したとされるのが『一刀流』である。
彼自身が生きている間に一刀流を名乗ったのことは無かったのだが、彼の弟子である神子上典膳こと、小野忠明が徳川家の剣術指南役となり、その流派を小野一刀流としたところから『一刀流』と伊藤一刀斎の名前は後世にまで響くものとなった。
この一刀流は、実は複数の流派が存在している。
まず、先にも挙げた『小野一刀流』である。一刀流の隆盛を確立させた一刀流の代表とでも言うべき流派である。
それに加えて、小野忠明の息子が設立したとされる伊藤一刀流、さらに一刀斎の弟子である古藤田俊直が設立した剣術と槍術を主とする唯心一刀流などがある。
さらに言及するならば、小野忠明が伝えた小野一刀流からは北辰一刀流、伊藤一刀流からは甲源一刀流、唯心一刀流からは正木一刀流などの流派が派生している。
かように、一刀流は一大勢力とでも呼ぶべき程の大流派であり、それだけに――一刀流の名前だけを騙る粗雑な流派も多数存在していたのである。
彼自身、中条流の免許皆伝である鐘巻自斎に剣術を学び、妙剣、絶妙剣、真剣、金翅鳥王剣、独妙剣を授けられたとされている。
他にも、秘太刀といわれる払捨刀や、無意識のうちに人を斬ったとされる夢想剣を使ったという話などが伝わり、生涯で真剣勝負を挑むこと三十三回、ただの一度も負けたことは無かったと言われる。
その伊藤一刀斎が独自の修行により編み出したとされるのが『一刀流』である。
彼自身が生きている間に一刀流を名乗ったのことは無かったのだが、彼の弟子である神子上典膳こと、小野忠明が徳川家の剣術指南役となり、その流派を小野一刀流としたところから『一刀流』と伊藤一刀斎の名前は後世にまで響くものとなった。
この一刀流は、実は複数の流派が存在している。
まず、先にも挙げた『小野一刀流』である。一刀流の隆盛を確立させた一刀流の代表とでも言うべき流派である。
それに加えて、小野忠明の息子が設立したとされる伊藤一刀流、さらに一刀斎の弟子である古藤田俊直が設立した剣術と槍術を主とする唯心一刀流などがある。
さらに言及するならば、小野忠明が伝えた小野一刀流からは北辰一刀流、伊藤一刀流からは甲源一刀流、唯心一刀流からは正木一刀流などの流派が派生している。
かように、一刀流は一大勢力とでも呼ぶべき程の大流派であり、それだけに――一刀流の名前だけを騙る粗雑な流派も多数存在していたのである。