月は紅、空は紫
 この時間に、清空が仁科道場を訪れたのには理由がある。
 別に、寝過ごしたのでこの時刻に訪ねてきた訳ではないのだ。

 剣術道場というものは、読んで字の如く『剣術を学ぶ道場』である。
 しかし、この時代ともなると殆どの道場に於いて剣とは『活人剣』というものを掲げていた。
 つまり、剣が人を殺すための術だけにあらず、剣によって人を生かす――剣術によって悪を討つことによって人を生かす、という禅宗の考え方を取り入れて、ただの殺人術から昇華させることを旨としていた。
 故に、剣術道場での生活というものは規則正しいものというのが常であった。

 剣を学ぶことによって、『人としての道も確立させる』というのが題目になっている、というわけである。
 だからこそ、『道を学ぶ場所』ということで『道場』なのである。

 稽古時間というものは、流派によって異なるものではあるが、凡その道場に於いては日の出と共に起床して一刻(二時間)を稽古に費やし、それから食事である。
 食事も稽古の一環なのでゆっくりと、口の中にある食物が唾液によって流動食となるくらいにまでゆっくりと数多く咀嚼してから飲み込む。
 食後は一刻の休憩を挟む、その半刻は仰向けのまま静臥して体を休養させる。
 その後に一刻を再び稽古に費やして、それが終われば高弟を除く門弟がこれまた稽古の一環として道場の掃除をする。

 清空が九つ刻を選んで道場を訪れたのは、この時間ならば休憩の時間に入り、さらには午後にある稽古を見学する、という名目を付けやすいからであった。
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