月は紅、空は紫
 清空を出迎えたのは、仁科道場の高弟である村木真一郎と名乗る、剣術をやっているにしてはえらく太った男である。
 それも、筋肉が肥大して太っているという印象ではなく――見たままの、脂肪が身体に大量に付着してしまっている、という風な太り方である。
 この男を見ただけで、清空は『この道場はまともな剣術道場ではない』と直感した。

 剣術の稽古というものは思いのほか体力を消費する。
 剣を振るう腕だけではなく、その土台となる足腰への負担が大きい。
 故に、通常の食生活というものを――とりわけ、この時代における通常の食事というものをしていて、平均的な水準である剣術の稽古をしているのならば――太るような余地は存在しないはずである。

 なので、導き出される推論としては、この村木という肥満体の男が食べ過ぎなのか、この道場の稽古が大したことをしていないのか――あるいは、その両方である、という事になる。

「何か、当道場にご用向きかな?」

 清空と大して変わらぬ年齢であろうが、えらく尊大な調子で村木が清空に尋ねる。
 『武者修行』と称して、道場見学に訪れる浪人者に対しては高圧的に応じる。
 どこの道場にでもありがちな話であり、この村木は例に漏れないどころか、その典型的な型であると言える。
 清空は、そんな村木の態度を気にする事なく予め考えておいた自己紹介を成した。

「諸国を旅しながら、各地の道場を巡らせていただいている――平野清山(ひらのせいざん)と申します。よろしければ、道場稽古などを見学させていただきたいと思いまして――」
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