月は紅、空は紫
 清空のその言葉に、村木は『フン』と鼻を鳴らした。
 また、仕官するために名前を上げるのに必死な浪人が訪ねて来たか――といった風である。
 清空の他にも、これまで仁科道場を訪ねて来た者も居るのだろう。
 それらの、仁科道場が掲げる『一刀流』という看板に引き寄せられて来た者たちと、清空も同様に思われたのだ。

 実際には、清空にとっては剣で名前を上げる必要もなく、そのような野心は一切持ち合わせていない。
 仁科道場に訪れた理由にしたところで、『仁左衛門殺し』と新たに発見された死体に関する情報を集めに来ただけのことである。

 が、そのような事情を村木が知っているはずもない。
 偉そうな態度でもって、清空を舐めつけるような視線で見ているだけである。
 上から下まで視線を移動させて、一通り清空の値踏みを済ませたのであろうか。
 村木はそれまでより一層偉そうな態度を持って口を開いた。

「見学か。まあ、当道場は京でも隠れた名道場、後学の為に見学したいという者は後は断たんが――お主にわが道場を見学する程の資格はあるのかな?」

 そう言いながら、右腕を前に出して、殊更に自分の着物の袖を強調する。
 要は、『見学したいのであれば、高弟である自分に袖の下を渡せ』という事である。
 清空は、そんな村木の態度を見て、『やはり、まともな道場ではないか――』と思ったのだが、それを口にも態度にも出さずに、村木には穏やかな笑顔を返した。
 そして、そのまま自分の着物の袖に手を入れる。

 清空の行動を見て、清空が自分の意図を察したと村木が思い込んで、脂ぎった顔をヒキガエルのように歪めた笑みを見せる。
 清空が袖から手を出し、村木の前にその手を持って行く。
 賄賂を渡そうとしているのだ、と認識した村木が清空のその手を迎えて、清空の手に握られていたものを受け取る。
 想像していたよりも、幾分か軽い手触りに『シケた野郎だな』などと思いながらも、それでも金には違いないと思いながら、自分の手に握らされた金額を確認しようと村木が手を開くと――そこに入っていたものは、金ではなく――一本の巻物であった。
< 146 / 190 >

この作品をシェア

pagetop