月は紅、空は紫
「ええ、諸国行脚の間の、見学をさせていただければと思っています」

 清空は無難な言葉を選んで、仁科からの質問に答えた。
 実際は武者修行もしていないし、恐らく名ばかりである仁科の一刀流に見学する価値のあるものは無いであろうことは予想が付いている。
 清空の目的は、仁科道場に潜り込み、弟子なり仁科本人から『仁左衛門殺し』事件の裏側を探るということである。

 だが、その目的を果たすためには仁科道場に接近する必要がある。
 その為にこうしてわざわざ――昔に受けた認可印状を携えてまで――仁科道場を訪れているのだ。
 嘘も方便とは言うが――清空の胸がチクッと痛む。

 一方、清空の言葉を受けて、仁科は胸を撫で下ろした。
 こうして印状を見せられて、なぜ弱小といっても差し支えのない自分の道場に中条流の剣士が訪れたのか、心配で気が気で無かった。
 ひょっとすると道場破りなのか、それとも一刀流を名乗っていることに異議があり、道場の内情を探りに来ているのか――と。

 後者であるのならば、まだ油断は禁物である。
 何せ、仁科道場の一刀流とは名ばかりであり、まともな剣議さえ持ってはいない。
 目の前に居るこの浪人が、実は一刀流からの使者であり『これは一刀流では無いではないか』などと言い出せば、仁科のごとき小さな道場はひとたまりもなく潰されてしまうであろう。
 中条流と一刀流、流派が違うのだから、異議を申し立てられる筋合いは無いと突っぱねてしまえばそこまでだが――そうで無いのならば、仁科は大きな好機を自ら潰すことになってしまう。
 本当に何も知らぬ、かつ中条流の印可を受けたような剣士が道場を見学していったとなれば仁科にとってこの上ない宣伝となる。
 立ち上げたは良いが、いまひとつパッとしない仁科の道場の運営について、この浪人の訪問は願ってもない好機とも呼べるわけである。

 清空と仁科、両者の利害が絡みつつ仁科道場に於ける清空の見学が始まった。
< 150 / 190 >

この作品をシェア

pagetop