月は紅、空は紫
 最後の患者に処置を終えて、清空の長い一日が終わろうとする頃には既に月が高く上がっていた。
 京の都会とはいえ、市中の生活は倹約を旨とされている。
 堂々と明かりが灯されて、生活を営んでいるのはきっと空診療所と色町くらいなものであろうか。
 この時間ともなれば、まっとうな生活をしている者は眠りに就いているだろう。

「ふう、やっと眠れる……か」

 最後の患者を見送り、軽く安堵のため息を吐き出す。
 一日の疲れを込めたような、眼に見えないがネットリとした粘性の込もった気体が清空の内より漏れ出たような気分である。

 中村に頼まれた、仁科道場と古藤道場を探り、こうして夕方からは診療所を開く。
 おまけに――もしも月が紅ければ、清空の使命として京の町を見廻らないといけなくなる。

(これでは……身体がもたないな)

 頭では、現在の自分の境遇の激しさに危機感を覚えている――のだが、それでは『中村からの頼みごとを終えるまで診療所を休むか?』という結論には辿り着けない。
 診療所が――医者をやることが『世を忍ぶ仮の姿』であるとはいえ、こうして清空を頼ってくる者が居て、それを救ってやることが出来る。
 裏で自分が抱える『使命』以上に清空は医師という仕事に誇りを持っていた。

 夜中には京を守る剣士、夕方には庶民の病気を治す医師、日中は道場を訪れる浪人――清空の三重生活はしばらく続くかもしれなかった。

「紅くはならないでくれよ――」

 空を見上げて月を仰ぎ、今宵は黄金色を保っている月に向かってそう呟いてから、清空は戸を抜けて自室に戻るのだった――。
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