月は紅、空は紫
 今日の診療で使用した為に、在庫が減ってしまった薬を点検して足りなくなった分を薬研(やげん)で磨る。
 薬研というのは漢方薬を作る時に用いる、石で出来た、中に窪みのある小舟型の器具である。
 窪んだ部分に薬効のある草、根、木、乾燥させた動物質のもの、鉱物などの薬材をいれ、軸を通した車輪の軸の両端に両手を置き、これを前後に往復させることによって、薬材を押し砕いて細粉にする。

 ひとしきりの作業を終えて、清空が出来上がった薬を抽斗にしまっていると――外の戸をトントンと叩く小さな音がした。
 初めは『風の音か?』と思うほどの小さな音だった為、清空はそれに気が付かなかった。
 二回目に戸を叩く音がして、今日は風が強いのかとも感じた。

 時刻は暮れ九つ、現在の時刻に直せば午後十一時である。
 患者にせよ、来客のある時間とは思えない。
 そもそも、こんな時間に訪れるような患者であれば急患であろう、戸を叩く前に、大声を上げて駆け込んで来るのが普通である。
 ならば、患者でも無いだろうし、こんな時間に来客があるとも思えない。
 清空が、戸を叩く音を風のせいだと思うのは無理らしからぬところであった。

 三回目のトントンという音と共に――今度は声がした。

「夜分に申し訳ございません。こちらは……歳平様のお住まいで宜しいでしょうか?」

 不意の訪問者に、清空は少し驚いてしまったのだが、『やはり来客であったのか』と思い直し、夜分の訪問者に警戒心を抱きつつも戸の向こうに対して返事をする。

「はい、歳平は私ですが――何が御用でしょうか?」

 清空の返事を受けて、戸の向こうからさらに言葉が続いた。

「ああ、ご在宅でしたか。良かった……少しお話がございます、中へ入ってよろしいでしょうか?」
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