月は紅、空は紫
「居ない……とは?」

 確かに、おかしな事ばかりである。
 三身一体のはずの鎌鼬が、メジロ一匹のみが清空に襲い掛かってきたり、それを兄であるはずのイシヅキが横槍を入れて止めに来たり。
 おまけに――この清空への訪問である。
 この場に居るのはイシヅキのみ、他の二匹は姿も見せない。
 メジロが理由も分からぬまま、人を殺してしまうまで切り刻んだり、何の関わりも無いはずの清空にいきなり襲い掛かって来たりと、清空の知っている鎌鼬とはかけ離れた行動ばかりである。

 怪訝な表情を見せる清空に、イシヅキはさらに説明を加えた。

「もう半月ほどになります――弟が……メジロが暴走を始めるきっかけとなった事件が起こりました――」

 そこまで言うと、イシヅキは湯のみの中の湯を口にした。
 妖と知らずに、来客へのもてなしとして湯を差し出したのだが――果たして鎌鼬のような妖が緊張で喉が渇くなどということがあるのだろうか?
 清空が、そんな焦点の外れた疑問を抱いたとは露知らず、喉を潤したイシヅキは『事件』の説明を始めた。

「我々は、二百年ほど前にこの京にやって参りました。遠野から、風に乗っての旅だったのですが京に入ったものの、何故かそのまま出れなくなってしまったのです」

 それを聞いて、清空は若干思い当たることがあった。
 京の町は、基本的に強力な結界によって外部からの妖が侵入することを防いでいる。
 それは平安の時代からずっと続いていることである。
 だが、何かのはずみで結界の一部が緩むことがあるのだ。
 恐らく、鎌鼬たちは結界が緩んだ時に京に入ってしまい、出る前に結界が閉じてしまったのではないだろうか。

「それはさておき、我々はそのまま京に住み着きました。この地には、我々が好む風も吹くし、出れないならばそのままこの地に住む妖になれば良かろう――そのように考えていたのです」

 身じろぎ一つせず、訥々と語り続けるイシヅキの話を清空も黙ったまま聞き続けている。
 外では、月が雲に隠されながらも、空の天辺にまで上っていた――。
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