月は紅、空は紫
「た、大変ですっ!」

 慌てて駆け込んで来た者は、対応する為に出て来た小森に対してそう告げるのが精一杯だった。

 中村を探していた時の小森にしてもそうであったのだが、まず自分の能力を超える事態に対面してしまった時の人間というものは『誰かにそれを伝えなければ』という考えだけに終始してしまう。
 小森の最初の仕事は、この慌てて駆け込んで来た者に『何が大変なのか』を話させるために、興奮して慌てきっている

 御役所に駆け込んで来たのは、魚売りの権蔵という男だった。
 権蔵は朝から捕った魚を、桂川に沿って売り歩いていた。

 売上は良いとも悪いともいえず、夕方までこの魚が売れなければ今夜の夕食は
自分でこれらの魚を食べるしかあるまいか、というような事を考えつつ売り口上
を唱えながら歩いていた。

 権蔵が桂川沿いに七条に近い通りに差し掛かった頃、河岸にキラリと光るもの
が視界に入った。

(……何だ?)

 権蔵は目を凝らして、河岸にある『何か』を良く見ようとした。
 その物体は、河岸で漂いながら水面に近い所で光を反射させている。

 権蔵は河岸に向かって歩を二歩だけ進めて、河岸の物体をもう少し観察できる
ように動いた。
< 26 / 190 >

この作品をシェア

pagetop