月は紅、空は紫
 しかし、いかな大都市といえども電気など発展していないような時代である。
 夜ともなれば町の中を闇が覆い隠し、手元、足元を照らすのは――頼りない月の灯りとなる。

 九月の夜にしては生温い風が吹く、紅い色の月の下、京の町中を歩く一つの影が在った。
 男の身なりは着流しに草履、腰には粗末なしつらえの大小を差してはいるが、頭には髷は無い。
 見るからに職にあぶれている浪人、といった風情である。

 足元の暗い、嵐山の傍を流れる大堰川の川岸を提灯を片手に一人で歩く。
 名前を衣川 仁左衛門といった。
 衣川の家は代々、河内国丹南藩に仕える下級武士の一門である。
 しかし、仁左衛門はその家の三男、家督を継ぐ立場ではない。

 武門の生まれであり、『武士として』の生き方を教育されて育ってきた仁左衛門ではあるが、生憎にも家督は仁左衛門の兄が継ぐことに決まっている。
 身の置き所の無い仁左衛門は、元服を機に『日本一の侍』を目指すという名目の下に京にある道場へと修行に出されたのである。
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