月は紅、空は紫
「待ってください! 父上!!」

 清空が身体の力を抜き、彦一がまさに清空に殴りかかろうとした瞬間である。
 戸板に寝かされた小夏の傍らに立つ、お民が突然、彦一を呼び止めた。

「――な、何じゃ?」

 左手では清空を掴み、右手は清空を殴るために振り上げた姿勢のままで彦一は眼下に居るお民の顔を見た。
 お民は右手で小夏の手を握り、左手を小夏の頬に添えていた。

 それを見て、彦一は驚きを隠せなかった。
 口がポカンと開き、それが歓喜による震えに代わる。
 お民の手が添えられた小夏の頬に――ほんのりとした赤みが差していたのだ。
 但馬屋を飛び出した時には、青い顔を通り越して土気色に近かった小夏の頬が、である。

「ね、熱は!? 呼吸はどうじゃ!?」

 手を添えるお民に、小夏の体調がどうであるかを確認するように声を出す。
 この時には、すでに彦一は清空の胸倉から手を放してしまっていた。
 得体の知れぬ男を責めるよりも、回復したかもしれぬ娘の様子の方が彦一にとっては大事なことである。

 胸倉を離されて解放された清空はといえば、両手で襟口を直しながら一歩下がって親娘の様子を安心したような表情で眺めていた。
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