月は紅、空は紫
「もし、お待ちくださいませ……!」

 戸板の横を通り抜けて、あと十歩も行けば清空の家に着くか、という地点に清空が進んだ時、誰かが清空を呼び止めた。
 振り返ると、清空を呼び止めたのは母の桔梗である。

「…………何か?」

 戸板に寝かされた少女は、ひとまずの窮地を脱しているし、同じ原因で高熱を出したりするような事は無いだろう、という事を清空は分かっている。
 この場に居る一同が、清空が何をしたかを理解できていなくとも、悪い事をされたわけでは無いことは分かっているだろうし、清空には自分が何の用で呼び止められてしまったのかまるで見当が付かなかった。

 自分の呼びかけに、立ち止まり後ろを振り返った清空に、娘を救われた母の桔梗は若者に再び質問を投げかけた。

「せめて、お名前だけでもお聞かせ願えませんか?――」

 名を名乗るべきか――しばし悩んだ後、別に自分の名前を教えても何の問題も起こるまい、と判断して清空は短く自己紹介をした。

「歳平……清空と申します。この長屋に住んでおります故、何かありましたら……また、ご縁がありましたら」
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