月は紅、空は紫
 死体が見付かった桂川の川辺から『あばら長屋』までの距離は、歩いて三十分ほどであった。
 長屋は八条通りにあるのだが、死体が上がったのが桂川の三条である。
 現場から長屋に戻るまでに大きな通りを幾つか越えて行く。

 時刻は夕刻に程近くなっていたが、それでも京の都である。
 通りには人や屋台が溢れていた。

 辻売りや振り売りの、うどん屋にソバ屋、寿司の屋台にてんぷらの屋台というものもある。
 この時代、給料というものは基本的に日払いであり、一仕事を終えた人間がこういった屋台で軽くつまみ食いをしたり、独り身であればこういった屋台で晩飯を済ませてしまうというのもよくある風景であった。

 清空と小夏も、清空の昼飯がまだであった事もあり、屋台で芋を二本買い求めて食べながら市中を歩いていた。
 小夏は家に帰れば晩飯の仕度もなされているだろうし、清空とて長屋まで戻れば多少なりの米の備蓄もあるにはある。
 が、恐らく――清空が長屋に戻る頃には、きっと『空診療所』には長蛇の列が出来上がっているであろう事も予想が出来ていた。

 そんな事情もあり、清空にとっては遅い目の昼飯、小夏にとっては晩飯前の間食という具合になったわけである。
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