水月夜
ただ、千尋の姿をよく見ると、こめかみや拳が小刻みに震えている。


もしかしたら千尋は、自分の家にある『水月夜』で恐ろしい絵を見たのかもしれない。


恐ろしい出来事など起こすまいと勇気を持って立ちあがったふうに見えた。


千尋……。


まさか自分を犠牲にしてでも恐ろしい出来事が起こるのを未然に防ごうとしてるの?


ダメ、やめて!


私は千尋がひどい目に遭って苦しむ姿を見たくないんだよ。


心の中で必死に祈る私をよそに、直美がふん、と鼻を鳴らした。


「あんた、豊洲と同じ目に遭いたいの? もし同じ目に遭いたいなら覚悟してな。昼休みに体育館倉庫に来いよ」


凍りつくほどの表情を消して不敵な笑みを浮かべたあと、千尋に背を向けて再び私に話しかけた。


「ねぇ、梨沙。私、本当に緒方先輩の彼女になれちゃうかな?」


「なれるよ。連絡先交換したから、脈ありだと思っていいんじゃない?」


額から小粒の冷や汗が流れるのをスルーして笑顔で答える。


直美がさらに目を輝かせて歓声をあげた直後、千尋は目をそらし、自分の席へと戻っていった。
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