ニセモノ夫婦~契約結婚ですが旦那様から甘く求められています~
プロローグ
その日は、私が生きてきた中で一番闇の密度が濃い夜だった。
どうしよう。お金がない。このままじゃ、お父さんが……。
襲いかかる絶望を受け止められず、時間の流れが止まったような心地がするのに胸は早鐘を打っていた。
静寂の中、コツ、コツ、と革靴のかかとがコンクリートを叩く硬い音がする。こちらに向かうその姿を街灯が照らした。
無造作にセットされた黒のミディアムヘアに、目尻がやや垂れたくっきりとした二重の目。鼻梁が伸びていて、肌は夜の中で白く透き通っている。
現れたのは、男性だった――。
「借金は肩代わりする。生活も保証しよう。その代わり、俺と結婚しないか?」
あちこち傷んだ築五十年以上経つアパートの前には似つかわしくない仕立ての良さそうな真っ黒のスーツをまとう男性に、私は一瞬、死神が現れたのかと思った。
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