ニセモノ夫婦~契約結婚ですが旦那様から甘く求められています~
「なにかおふたりにしかわからない事情があるのかもしれません。私がこのようなことを申し上げられる立場でないことも重々承知しております。ですが、どうせ叶わないなら、私は常務には想っている方と一緒になってほしかった……」

 いつも抑揚なく話す西留さんの声が初めて震えるのを聞いた。

「失礼いたします」

 そのまま彼女は一礼し、駆けるようにホールから出ていってしまった。

「あっ……」

 私の届かなかった掛け声だけが、吹き抜けの天井に吸い込まれていく。彼女を表に出した自動ドアの閉まる音が、耳の奥でこだましていた。

 私は結局渡せなかった缶コーヒーの存在を思い出し、両手で握りしめる。

 しばらく立ち尽くしていた私は、部屋に戻りながら停止しかけていた思考を必死に巡らせた。

 この前、西留さんから感じたただならぬ視線の正体は、私に対する敵意からだったんだ……。
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