三十路令嬢は年下係長に惑う
チャペルの鐘が鳴り響く
リンゴン♪ 鐘が鳴る。儀式の為だけに取り付けられた偽りの鐘楼は、それをより「ぽい」ものにするための演出だった。

 真っ白なウェディングドレスに憧れていただけだった。キリスト教徒というわけでは無い。

 けれど、そうだといって、これは罰なのか。

「姉さん、あとは私達が対応するから、着替えて」

 しっかり者の妹が、せっかっく纏ったウェデングドレスを脱げという。特注品。自分の為だけにあつらえて、エステに通って体型だってあわせた。

 大安吉日、空は青く、準備は完璧。

 なのに、なぜか、花婿だけが居なかった。

「さ、行くわよ」

 母に付き添われて、今日の主役であるはずの花嫁は、こそこそとチャペルを後にする。

「どういう事なんだ、いったい!」

 花嫁の手を引いて入場する予定だった父は全身で怒りをあらわにしている。

 政略結婚、時代錯誤にもほどがあるが、未だにそんな言葉は残っていて、今回も間違いなくそうではあった。

 だからこそ、不穏な兆候を見ないようにしていた。

 無言電話も。

 怪しげな手紙も。

 式を挙げて、婚姻届を出せば。

 今日は、文字通りゴールのはずだったのに。

 足がひどく重かった。ウエディングドレスにあわせた軽やかな美しい靴。

 レースの手袋。肌もぴかぴかに磨いて、花嫁が三十路という事を気づかせないほどに美しく着飾ったはずなのに。

 気がつけば、日当たりの悪い控室で、ウエディングドレスを着替えるために立っている。

 遊佐水都子(ゆさみつこ)は、鏡の中の自分を見た。

 結婚式の当日、花婿に逃げられた哀れな花嫁のはずなのに、涙ひとつこぼさない、能面のような顔。愛など無かったけれど母がそうであったように、自分も夫となる人を愛せるようになれると思っていた。

 今頃、有能な妹と弟がキレイに事後処理を終えているに違いない。もしかしたら、既に訴訟の準備に入っているかもしれない。結婚式をドタキャンした元・婚約者に慰謝料を請求する為に。

 結局、これは誰の為の装いだったんだろう、水都子は鏡の中の自分に手を伸ばす。鏡面に触れた指先は、冷たいかと思いきや、ほんのりと温かかった。

 もう片方の手も伸ばして、両手を重ねるようにして、鏡の中の自分と向き合う。

 花婿に逃げられた花嫁。

 これ以上の恥ずかしさなんてないんではないだろうかと思い立つ。

 鏡の中の自分が、自分でも驚くほど不敵に微笑んだ。

 これは、私の顔だろうか。

 水都子はそんな顔のできる自分に少し驚いていた。
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