三十路令嬢は年下係長に惑う
「神保の昇給がリジェクトされました」
「それは、その、神保さんの仕事ぶりがそれに値しないと判じられたのでは?」
「バックオフィスの他の女性社員とのバランスがとれない、というのがリジェクトの理由だそうですよ」
「それが、公式な回答だったんですか? それはいくらなんでも」
「残念ですが、事実です。ただし人事からの正式回答ではありません、総務部長からの個人的な根回しです、そんな事、文書に残せるわけないでしょ」
「けれど、それは総務部長ご自身の考えなのでは?」
もし仮に、そんな理由で昇給を認めなかったというのなら、総務部長そのものの資質が問われそうにも思ったが、総務部長は兼任という形で人事部長を請け負っているだけにすぎず、専門で無いからこそ、深く考えていない可能性は僅かではあるが残っていた。もちろん、仮にそうだとしてそれで許される問題では無かったが。
だいいち、会長の娘、社長の姉という立場で容易に入社した自分が人事査定についてどうこう口出しをする事ができるものだろうか。
「あなたもそう思いますか?」
見透かすような言い方をする間藤に、水都子は思わず視線を逸らした。
「じゃあ、言い方を変えましょう、今、神保鈴佳には仕事が集中していて、俺は係長としてそれを是正したいと考えています、彼女と、ユーザー、この場合は社内にいてシステムサポートを必要とする人たちですが、との間に立って彼女をサポートして欲しいんです、貴女に」
水都子が、間藤の方を見ると、間藤はやわかかく微笑み、そして毅然な様子で続けた。
「貴女ならそれができると思います、遊佐水都子さん」
自分ならそれができる、という言葉に、水都子は響くものを感じていた。あの日、私ではダメなのだと打ちひしがれてから、自分の存在のあやふやさ、足元のあやうさに落ち込み続けてきた水都子にとって、それは雲間から差し込んだ日の光のようにも思えた。
「それは、私が社長の姉という立場の人間だからですか?」
「もちろんそうですが、それは貴女を構成する要素の一つに過ぎません、もし、社長の姉上という立場、もしくは会長令嬢という立場を傘にきて上からものを言うような方だったらお願いしませんよ、あなたは聡明で、理性的、そして、裏方に徹する事のできる人だと思います、これは、妙齢で美しい女性にはなかなかできない事だと思いますよ」
「私は美しくなんかないですよ」
「そうですか? 整ったお顔だちだと思いますけどね」
「褒めても何も出ませんよ」
「そうですか、それは残念、で、どうですか? やっていただけますか?」
「私は『仕事』をする為にここへ居て、あなたは上司です、あなたが私の適性をそれにふさわしいと判断されたのでしたら、私が拒否する理由はありませんよ」
「けっこう! では、神保を呼びます、少しお待ちを」
そう言うと、間藤は閉じたままだったラップトップを開いて、恐らくは社内チャットを通じて神保を呼び出した。
「それは、その、神保さんの仕事ぶりがそれに値しないと判じられたのでは?」
「バックオフィスの他の女性社員とのバランスがとれない、というのがリジェクトの理由だそうですよ」
「それが、公式な回答だったんですか? それはいくらなんでも」
「残念ですが、事実です。ただし人事からの正式回答ではありません、総務部長からの個人的な根回しです、そんな事、文書に残せるわけないでしょ」
「けれど、それは総務部長ご自身の考えなのでは?」
もし仮に、そんな理由で昇給を認めなかったというのなら、総務部長そのものの資質が問われそうにも思ったが、総務部長は兼任という形で人事部長を請け負っているだけにすぎず、専門で無いからこそ、深く考えていない可能性は僅かではあるが残っていた。もちろん、仮にそうだとしてそれで許される問題では無かったが。
だいいち、会長の娘、社長の姉という立場で容易に入社した自分が人事査定についてどうこう口出しをする事ができるものだろうか。
「あなたもそう思いますか?」
見透かすような言い方をする間藤に、水都子は思わず視線を逸らした。
「じゃあ、言い方を変えましょう、今、神保鈴佳には仕事が集中していて、俺は係長としてそれを是正したいと考えています、彼女と、ユーザー、この場合は社内にいてシステムサポートを必要とする人たちですが、との間に立って彼女をサポートして欲しいんです、貴女に」
水都子が、間藤の方を見ると、間藤はやわかかく微笑み、そして毅然な様子で続けた。
「貴女ならそれができると思います、遊佐水都子さん」
自分ならそれができる、という言葉に、水都子は響くものを感じていた。あの日、私ではダメなのだと打ちひしがれてから、自分の存在のあやふやさ、足元のあやうさに落ち込み続けてきた水都子にとって、それは雲間から差し込んだ日の光のようにも思えた。
「それは、私が社長の姉という立場の人間だからですか?」
「もちろんそうですが、それは貴女を構成する要素の一つに過ぎません、もし、社長の姉上という立場、もしくは会長令嬢という立場を傘にきて上からものを言うような方だったらお願いしませんよ、あなたは聡明で、理性的、そして、裏方に徹する事のできる人だと思います、これは、妙齢で美しい女性にはなかなかできない事だと思いますよ」
「私は美しくなんかないですよ」
「そうですか? 整ったお顔だちだと思いますけどね」
「褒めても何も出ませんよ」
「そうですか、それは残念、で、どうですか? やっていただけますか?」
「私は『仕事』をする為にここへ居て、あなたは上司です、あなたが私の適性をそれにふさわしいと判断されたのでしたら、私が拒否する理由はありませんよ」
「けっこう! では、神保を呼びます、少しお待ちを」
そう言うと、間藤は閉じたままだったラップトップを開いて、恐らくは社内チャットを通じて神保を呼び出した。