三十路令嬢は年下係長に惑う
「ちゃんと人の話を聞いてるし」

 カメラマンの言葉が、何故か水都子の心にストン、とはまった。

「いいえ、聞けてなかった、だから逃げられた」

 水都子は泣いてはいなかったが、自虐的にならずに答えた。

「あんま自分を責めない方がいい、どんな理由があったって、結婚式の当日に花嫁を放っておくような男はロクなもんじゃない、……よかったじゃん、式、挙げなくて」

「そうかな」

「そうだよ」

 カメラマンと話をしているうちに、水都子は自分が驚くほど落ち着いている事に気づいた。

「ねえ、写真撮ってくれない?」

 水都子が言うと、カメラマンは手にしていたカメラを構えた。

 あれこれポーズに注文を入れられながら、何枚か撮り終えて、式場のスタッフから文句が出る前に二人は退散した。

「連絡先、聞いてもいい?」

 カメラマンの言葉に、水都子はかぶりを振った。

「でも、データ渡せないよ? ……って、残念、連絡先を聞くチャンスだと思ったんだけどな、ま、いいか、ネットにデータをあげたりしないし、悪用しないって言ったら、信じてくれる?」

 いたずらっぽく笑う男は、いい人間なのか、悪い人間なのか、一目で判断する事はできなかった。しかし、どこか捨鉢になっていた水都子は、どうなってもいい、とも思っていた。

「じゃあ、次に会ったら、その時に」

 多分、もう二度と会う事は無いけれど、そう思って水都子は言った。見ず知らずの男に写真を撮らせるなんて、少し無防備すぎるかもしれない、そう思いながら、水都子は、それもいいかもしれないと思っていた。

 見知らぬ男に身を任せるような冒険はできなくても、写真を撮らせるくらいならできる。

「じゃあね」

 そう言って、白いドレスの裾がひるがえすと、気が済んだのか花嫁は駆けていった。
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