三十路令嬢は年下係長に惑う
ブースに入り、二人を座らせてから、水都子は鈴佳に言った。

「鈴佳さん、少し落ちつこう? ちょっと言い方に棘があったよ?」

 諭すように水都子に言われて、鈴佳は少し落ち着いて肩を落とした。鈴佳が坪井に嫌味のひとつも言いたくなる気持ちは水都子もよくわかるのだが、今は間が悪すぎた。

「……すみません」

 水都子は、小声で、私にではなくて坪井さんに言わないと、と、言うと、ようやく鈴佳は不本意そうにではありながら、坪井の方を向いて頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。

 しかし、これはこれで坪井の気に触ったようだ。

「水都子さん、あなた何様よ」

 唐突に坪井の標的が鈴佳から水都子に変わった。

 水都子は、朝の事を思い出しながら、黙って坪井を見た。

「経営者一族の親族だからって偉そうにしないでよ」

「偉そうにしたつもりはないけれど」

「だって神保の上司みたいだったじゃない、今の言い方」

「仮にそう聞こえたとして、どうして坪井さんにそれを指摘されなくてはいけないのかわからないんだけど」

 鈴佳は、今度はハラハラしながら二人のやりとりを見守っている。水都子が冷静に振舞っているように見えるのが救いではあったが、とにかく坪井は声が甲高く、そして、一度敵に回すとしつこいという事を鈴佳は身にしみて知っていた。

 水都子が言った通り、坪井に鈴佳と水都子の関係について指摘される言われはないのだ。

 水都子はあくまでも淡々として、自分のおかしいと思った事を含む所なく言っただけなのだが、坪井にはそれすらも気に入らないようだった。

「何よ! 結婚式当日に花婿に逃げられた出戻りのくせに!!」

 それは、今の話題との関連は全く無かった。坪井は、とにかく水都子を貶めたくて貶めたくて、手持ちの切り札をあっさりとさらした。

 水都子は、再び朝の坪井とのやりとりを思い出した。

 指先が冷えて、体が硬直しそうになった。鈴佳も、表情を固くした水都子を心配そうに見ている。まさにそれは『爆弾発言』だった。

 落ち着かなくては、と、水都子は手をぐっと掴んだ。心臓が掴まれて、喉の奥に重い石の塊を押し疲れたような痛みに、声も出ない気持ちになりながら、こんな言葉ひとつで動揺してたまるかという気持ちがあった。
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