三十路令嬢は年下係長に惑う
「あそこです」

 駅から徒歩十五分、もしかしたら二十分だったかもしれない。蔦の絡まった建物は趣があるが、日当たりは見込めないようなうっそうとしたものがある。

 さらに、鈴佳が進む先は地下へ続く階段があった。階段を下っていっそう下、半地下になるその場所の扉には、確かに間藤の名前が書かれたプレートがあった。

 といっても、元々ドアについているプレート部分にテプラで『Mato』と貼り付けてあるだけではあるのだが。

 おもむろに扉を叩く鈴佳に、水都子が呼び鈴のボタンを示すと、ああ、それ、壊れてるんですよ、と、鈴佳は事も無げに言った。

 ドアを叩く音に反応したのか、室内で物音がして、ほどなくして間藤が姿を表した。スウェットに、右腕の包帯。吊り下げていないところを見ると聞いたとおり、重度の怪我では無いようだ。

「おー」

 鈴佳の姿を見て声をかけた後、背後にいる水都子に気づいて間藤はあわてて扉を閉めた。

「先輩、間藤さん、開けて下さいよっ」

 どんどんと遠慮なく鈴佳がドアを叩くと、中から間藤の声がした。

「なんで遊佐さんがいるんだ!」

「えー、だって、心配だって言うからー」

 鈴佳が棒読みで言うと、

「明日には出社するから! だから帰ってくれ!」

 扉を開けようとしない間藤に、すいっと水都子が進み出て、鈴佳に変わって扉を叩いた。

「間藤さん、無理はしないで下さい、部長からもそういい使っています、そして、この扉を開けて下さい」

 水都子の言葉の後、しばらくごそごそと物音がして、ようやく扉が開くと、玄関先でちんまりと正座をしている間藤が居た。

 そして、聞いていた通り、室内の空気は重く、見るからに湿度の高そうな室内の、壁紙の一部は変色してしまっている。

「なんだ、思ったより片付いてるじゃないですか」

 つまらなさそうに鈴佳が言うと、

「でも、空気は悪そうですね、換気がきちんとできていない」

 ずい、と、進みでた水都子が、宣言するように間藤に言った。ほどなくして、アパートの入り口に車が止まって、中から男が二人出てきた。

 出てきた男の姿を見て、鈴佳はぎょっとした。現れたのは、水都子の弟、副社長の遊佐慎夜と、秘書の真島夏樹だった。
< 52 / 62 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop