三十路令嬢は年下係長に惑う
それでなくても社長の、(今は会長だが)息子と娘という事で、色眼鏡で見られるのに、お気に入りの社員を伴っての副社長就任は避けるべきだというのが真昼の言い分だった。

 真昼の言い分を聞いて、水都子は自分に声がかかった理由がなんとなくわかったような気がした。今いる社員を抜擢してもいいのだろうが、真昼自身が社長として基盤が固まりきっていない状況で、社員を抜擢する事を恐れたのだろう。

 水都子であれば、身内である。ましてや女であれば、あなどられる事もあるだろう。真昼自身はお嬢様社長などと揶揄されている事に気づきながらも、辛抱強く実績を積んでいる。誰かを贔屓してそれを台無しにしたくないという事か。そう、水都子は納得した。

「お姉ちゃんには、間藤をフォローしてやって欲しいんだよね」

 運ばれてきたプレートにとりかかる前に真昼が言い、備えてあったカトラリーに手を伸ばした。

「いただきまーす」

 そうやって美味しいものを食べているのは、妹の真昼なのだが、社内だときちんと社長の顔をしている事に水都子は驚いていた。

「いただきます」

 真昼に続いて水都子も食事を始めた。

 しばし、会話が途切れ、水都子は間藤の顔を思い出していた。

 恐らく、人生の中で最も落ちている一瞬だった。結婚式当日に花婿に逃げられるという経験は中々できるものでは無い。ましてや、水都子の人生はそれまで比較的順調だった。

 裕福な家に生まれ、かといって過度な期待をされる事もなく、ぼんやりと日々を過ごしてきた。進学も就職も、特別『こうしたい』という意志はなく、これであれば恥ずかしくないというものを選んで進んできたように思える。

 父の奨めで見合いをして、結婚を決めた。会社の利害の絡んだ結婚ではあったが、水都子は特別嫌だとは思っていなかった。

 何がダメだったんだろう。繰り返し自分に問いかける。

 相手が悪かったのだろうか。

 自分に、結婚式をドタキャンされるほどの落ち度があったとは到底思えない。

 元・婚約者も、直前で考えが変わったのならその時点で相談するべきでは無いか。

 少なくとも前日、もしくは式の直前にでも申し出てくれれば、水都子はあそこまで恥をかく必要は無かったのに。

 そんな、人生で最も落ち込み、弱っているところに偶然出くわしてしまった男。まさかそれが妹の会社の社員で、なおかつ今後は同僚になるとは。

 間藤は、自分の身に起きた奇禍を誰かに言ったりするだろうか。

 ふと、水都子は思った。

 結婚式当日に逃げられたという事件を、知っているのは家族だけのはずだ。招待客の中には、父や妹以外にポラリスリゾーツ縁故のものは居なかった。

 間藤は、水都子の事をおもしろおかしく誰かに語ったりしたろうか。

 唐突に思い立って不安になった。

 あの時のカメラマンに再会できてうれしいという気持ちと、知られたくない事を知られているという事実が、水都子の鼓動を速めた。

 早く確かめたいと思いながら、水都子は急いで食事を終えた。
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