わたしとねずみとくるみ割り人形
わたしとねずみ 後編
「気がついたか?」
声をかけられて重たい瞼をひらく。そこはさっきまで自分がいたねずみの邸ではない。煉瓦でできた壁と木の天井がわたしを迎える。
身体を起こすと、橙色の炎が入れられている暖炉と、金と銀のちいさな星と紅い姫林檎が飾りつけられているちいさな樅の木が見えた。粗末だけど、温かみのある部屋だ。
木枠の窓からのぞく景色はかつて侍医が教えてくれた独逸の風景を彷彿させる、古い異国の街並み。
そしてわたしを見つめているのは金髪碧眼で軍服を着たの男のひと。ぶっきらぼうな声とは裏腹に、心配そうな表情でわたしを見つめている。
「ここは?」
「きみの家じゃないか。何を言っている。床に頭を打ったときに記憶喪失にでもなったのかこの間抜け」
怒ったように口にする彼の姿は、まったく似ていないのに自分の婚約者であるねずみにそっくりだと思わず笑ってしまう。
「何を笑っている。僕はきみを罵倒しているのだ。すこしは言い返すなりしてはどうだ」
「ごめんなさいね、間抜けで」
「……まあいい」
小声で零しながら、彼はわたしの両手を取る。真っ赤なイブニングドレスを着たわたしは軍服の青年をじっと見つめ、やがて声をあげる。
「くるみ割り人形!」
彼は侍医がわたしにくれたくるみ割り人形と同じ格好をしていた。だとしたら、これはわたしが見ている夢なのだろうか。
「それがどうした? 聖なる夜にやってきたねずみの大軍を我らが鉛の兵隊が叩きのめしてやったことをきみはやはり忘れてしまったというのか。嘆かわしい」
「……ねずみの大軍」
たしかに、くるみ割り人形は悪いねずみの王様をやっつけた、と侍医が言っていた。だとすると目の前の彼は悪いねずみの王様をやっつけて持ち主の少女を助けたところ、なのだろう。
でも、目の前にいるくるみ割り人形の青年は、わたしにとっての王子様なのだろうか。
「僕が窮地に陥った時に君が手を貸してくれたから、こうして平穏を取り戻すことができたのに。このように腑抜けな状態ではお礼のしがいもない。おい、いつものように僕に話をしろ。君が行きたいと口にしていたおとぎの国のことや、雪の精のことを」
いつものように話せ、と強要されても何のことだか見当がつかない。黙り込んでいるわたしをじっと見ていた彼は、まるで人形にもどってしまったかのように硬い表情になっている。それでもわたしが何も言わないからか、金髪碧眼で軍服を着ていたはずのくるみ割り人形の姿が変わってしまった。そして、懐かしい声でわたしを叱るのだ。
「いつまでそうしているつもりだこの間抜け。僕が君を楽しませてあげようと話してやったことを忘れて腑抜けている暇があるならとっとと思いだして戻ってこい」
黒髪黒眼の礼服姿の青年になって。