さざなみの声
二度目のファーストキス
1
そして八月から私のデザイナーとしての毎日が始まった。仕事はとても充実していた。デザインに集中することが出来る。素晴らしい腕の良いパタンナーを付けてもらえて私のデザインが商品になり店頭に並ぶ。夢のようだった。
今思えば何もかも運命だったんだろうか。人と別れてまた出会って、その繰り返しがすべて人生なんだと思える。泣いたことも辛くて逃げ出したかったことも、そのどれ一つが欠けても今の私は無かったんだと思う。
土日休みになって月に一、二度シュウから食事に誘われる。
「僕たち友達だろう」
そう言われると断る理由がない。
そのまま秋が来て冬が過ぎて春になっていた。
「シュウ、話しておきたい事があるの」
私は啓祐との事を包み隠さず、すべてを話した。それでシュウが私から離れて行ってくれればシュウだって新しい恋愛を始められると思ったから。
二十六歳になった今いつまでもこのままじゃいけない気がした。
それから一ヶ月ほど経ってシュウからドライブに誘われた。シュウと私を乗せた車は見慣れた街並みを通り過ぎ高速を乗り継ぎ、五月の新緑の綺麗な高原に着いた。
車を降りて、あふれる程の自然に包まれて歩いた。川のせせらぎ、鳥の鳴く声、木漏れ陽、風が揺らす木の葉。何もかもが優しく迎えてくれる。
「気持ちいい……」
「来て良かっただろう?」
「うん。ありがとう」
「寧々、母さんに会ってくれないか?」
「えっ? ……でも私は」
「寧々に会いたがってるんだ。次の日曜日はどう? 忙しいかな?」
「休みだけど。でも私には、もうシュウのお母さまに会う資格は……」
「資格って何? 寧々は本気で好きになったんだろう? 好きになった人に、たまたま家庭があっただけだよ。しかもその家庭を壊すことは望んでいなかった。寧々はもう充分傷付いた。自分から傷付いて血を流して、それでも生まれて来る新しい命のために別れを選んだ」
「そんな言い方、美化し過ぎよ。不倫だったのは間違いない事実だから。人の道に外れることをしていた過去は消えないの。これからもずっと」
「だったら僕も同罪だ。寧々と別れてから特別好きでもない女の子と一夜を共にした事だって何度かあるんだ……」
「えっ? シュウが?」
「僕だって、そういうことくらいあるよ。健康な一人の男だからな。悲しいことに……」
「でも……それは……」
「寧々、これからは、ずっと傍に居るよ。自分の気持ちをはっきり伝えなかった僕が悪かったんだ。寧々を傷付けたままで放っておいた僕が……」
「そんなことない。シュウにはシュウの事情があった。私の事そこまで考えてくれてるなんて知らなかった。シュウには感謝してるの。だから私のことはもう忘れて」
「忘れようとした。忘れたかった。でもダメだった。忘れられないのなら寧々をそのまま、その人を愛した寧々も全部愛したいと思ったんだ。その人が寧々を愛していた分も大切にしたい」
「シュウ……」
涙が零れて止まらない。
シュウは私をそっと抱きしめてくれた。シュウの胸は変わらず温かい。胸の鼓動が聞こえる。私は母親の心臓の鼓動に安らぐ胎児に戻ったような錯覚に陥る。
ここに居ていいのだろうか? シュウの寛大さに甘えていいのだろうか?
「寧々、僕が嫌いか?」
頭の上でシュウの優しい声がする。
「どうしてそんなこと聞くの?」
シュウの腕にそっと包まれたままで。
「今すぐ愛して欲しいなんて言わない。嫌いじゃない、そこからでいい」
「シュウ……」
シュウの優しさが心に染みて何も言えなかった。