君の笑顔に涙する
今と昔
凛が事故に遭ってから一週間が経った。
思えば──僕は、凛のことを何も知らなかった。
好きな色、好きな動物、好きな食べ物、好きな場所。
嫌いな色、嫌いな動物、嫌いな食べ物、嫌いな場所。
なんで知らなかったんだろう。
なんで知らなくても平気だったんだろう。
そんなの、答えは一つだ。
「有」
そう、僕の名前を呼んで、笑う凛の笑顔を見れるだけで幸せだったんだ。
あの日から、僕は凛に会っていない。会うのが怖くなった。僕は、凛の前で笑える自信がない。
凛は……今、どうしているんだろうか。
そんなことを考えながら、学校で特別授業を受ける。
授業が終わり、教室を出ると、「よっ」と笑う聡が立っていた。
「……お前、特別授業受ける頭ないだろ。なんでここにいるんだよ」
「うっせ! 勉強教えてくれる約束、しただろ?」
そういえば、そんな約束したな。確か、凛と三人で……。
「……どこでやるんだよ」
「そりゃ、浅野ちゃんがいる病院だろ」
「……凛、忘れてるかもしれないだろ」
いや……『勉強』は嫌いだから、覚えてるか。
そういえば、聡にはまだ凛の記憶喪失の一貫性、話してなかったな……。
「その浅野ちゃんのことでも話あるんだよ」
「……僕は、凛に会えない」
「ふーん? じゃあ、帰りながらでいいや」
そう言って、二人で暑い日差しの中、歩く。
駅に行く途中、聡がバッティングセンターの前で足を止めた。
「運動していきたいし、つき合えよ」
「……本職じゃなくていいのかよ」
「二人でフットサル行っても仕方ねーし、それに、お前に勝ち目ないじゃん?」
「運動系じゃ、どっちにしろ勝ち目ないよ」
「じゃあ、何なら俺に勝てるよ」
「文豪の作品タイトル対決」
「ははっ、違いねー!」
なんて他愛もない話をしながら、バッティングセンターへと入る。
「130くらいでいっか」
「どーぞご自由に」
どうせ、僕が聡に勝てるわけがない。
そんな事を思いながら、ベンチに座り、バットを構える聡を見る。ボールが真っすぐ飛んで来て、それを聡は綺麗に前へと飛ばす。十球終わり、聡がバッターボックスから出る。
「そういえばさ」
珍しいな、と思った。
聡が俺に背中を向けて話すのは。
「この前病院行ったとき、きいたんだよ」
「なにを?」
「浅野ちゃんの見舞いに誰が来たか」
「へえ」
なんで?
そんなことを思ったが、聡の言葉を待つ。
「浅野の友達の女二人と、担任と、学級委員の男一人」
「まあ妥当だな。それで?」
「浅野ちゃん、担任と男はおぼえてたけど、女二人は忘れてたって」
そりゃそうだ。
だって凛は、好きなものを忘れてしまったんだから。それが、人でも。
「浅野ちゃんってさ、何を忘れたんだ?」
「……さあ?」
「有、俺を誤摩化せると思うな」
聡の低い声に、僕はそっと息を吐く。
「……凛は、好きなものを忘れたんだ」
そう言うと、聡は静かに「そっか」と声にだす。
その声に、僕は目を丸くした。
だって……あまりにも、その声は、わかっていたかのような、そんな声だった。
僕は、グッと拳を握り、「聡」とまだ背中を向けている聡に言葉を投げた。