檸檬の黄昏
二ヶ月前のアルバイト初日、茄緒が事務所で一番最初にした事は窓を空けて換気して空気を入れ換えたこと。
休憩時間にドラッグストアに行き煙草専用の消臭剤を大量に購入し、設置したことだった。
費用は敬司に領収書を突き付ける。
「昭和時代の会社ですか、ここは」
茄緒がデスクでパソコンを打ちながら呆れ返っている。
「ごめんな、茄緒ちゃん。最初からこんなんだったから気づかなかった」
敬司が恥ずかしそうに笑った。
敬司は黒系のスーツに赤いシャツ、黒ネクタイ。
茄緒がアルバイトととはいえ入社したので、敬司はスーツを着たのだという。
これからはなるべくスーツで出勤するぜ、と親指を立てた。
しかしその手で内ポケットから煙草を取りだそうとして、茄緒に睨まれ手を引っ込めた。
耕平は相変わらずスエット上下で、髭だらけで髪はボサボサのままである。
長い足を組み、今日は新聞を読んでいた。
(ヤクザの事務所みたい)
今まで新しい人材が辞めていった理由に、仕事が少し難しいという理由も確かにあると思うが、それ以外の理由だろうと茄緒は確信した。
二人をよく知らない人間が不審に思うのも無理はない。
茄緒の服装はジャージではなくジーンズに白いセーター、というラフなものに黒縁眼鏡。
髪は後ろでひとつに束ねている。
会社だし来客があった時に失礼のないようにと一応配慮しているのだが、敬司は気を使わなくていいのに、と笑っている。
そういう感じで服装も構わないし身なりをきれいにしているわけでもないので、道の駅でも何度、あの会社は怪しいと注意されたり心配された事か。
出張で外出していることも多く、三人がそろう日も少ないが、それでも茄緒は青空面接の後も何度か耕平と川釣りに行っている。
昼休みを利用しての短い時間ではあるが釣った魚を調理し一緒に食べたりして、仕事以外でも少しずつではあるが交流はできるようになった。
釣りが元々好きという理由もあるが食費を少しでも浮かせたい、という茄緒の本音を知ってか知らずか、嫌々ながら相手をしてくれている。
敬司とはやはり昼休みを利用して、一緒にケータイ型ゲームを楽しんだりしている。
ゲームは道の駅で世話になっている主婦の子供たちともアドレスを交換して、休日や仕事を終えてから通信を楽しむようになってきた。
道の駅も働き始めは茄緒の身長を怖がられ、泣かれたこともあったが今ではだいぶ打ち解けている。
そしてこの日もいつものように事務所でパソコン作業をしていた茄緒がメールを開き、内容を耕平に転送した。
事務所は十畳ほどのリビングと、六畳の部屋をドアなしでワンフロアにして使い、デスクを三つ向き合わせで置いて、それぞれに二台ずつパソコンが置いてある。
それに加え茄緒のデスクには英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、中国語の辞書が重なり山を作っていた。
次の給料日には電子辞書を購入予定である。
向き合わせで敬司と茄緒、その間に耕平。
茄緒が来る前は敬司と耕平でお互いに窓際に向かい机が置いてあったそうだ。
「親睦会………」
耕平が呟く。
「ああ、そんな時期か」
敬司が頷く。
茄緒が頭に疑問符を浮かべていると、敬司が答える。
「関連企業が集まるパーティーだよ。名刺交換するところ」
同業、関連企業の会が毎年、開催している催しで、新年会も兼ねている。
海外からも出席者も多いそうだ。
一応、耕平が社長だから始まりは耕平が出席、と茄緒に説明する。
「面接くせえな」
耕平は椅子にもたれると天井を仰いだ。
「なあ耕平、今年は茄緒ちゃんと出席ってのはどうだ?」
敬司が言うと茄緒は顔をあげ、耕平は身を起こした。
「前から思ってたんだよな。うちの会社、華がなさすぎなんだよ。特に海外のクライアントは夫婦とか多いし、うちもそういうのがあっていいんじゃないのか」
と敬司は云った。