檸檬の黄昏
午後三時過ぎ。


「なんだかあっという間ね」


弟を見送るため外に出た茄緒は寂しそうに呟いた。


「高速使っても二時間かかるからさ。でも、また来るよ。茄緒、ゲームヘタだし」


鍛えてやるよと涼が笑い、茄緒は弟のクセに生意気なんだから、と頬を膨らませる。

その時、茄緒の自宅の前を白いSUVが通りすぎ、隣の敷地へ入る。


「あ、耕平さんだ。わたしの仕事のボスなの」


説明し、庭を回ると車を降りた耕平を呼び止めた。


「耕平さん、弟の涼です。涼、わたしの雇い主の方よ。隣に住んでるの」
「相川涼です」


涼が頭を下げる。
耕平が名前を名乗り、軽く握手を交わす。


「姉がお世話になってます。坂口さん」


涼が耕平の瞳を覗く。

それは耕平の奥底を調べているようにも感じた。
お互いに背が高く視線は、ほぼ同じくらいである。

あの、と涼が云いにくそうに口を開く。


「姉は、あまり身体が丈夫じゃないんです。そうは見えないかもしれませんが。だからその、なんというか……お手柔らかにお願いします」


茄緒本人は余計なこと云って、と顔を赤くした。
耕平は、気をつける、と短く返す。


「………」


耕平はその涼の視線に気づいたのか、気になったように涼を見つめていた。


涼の車を見送り、ひとり家の中へ戻ろうとした茄緒だったが。
スコップを持つと庭の隅で何やら掘り返し、バケツに土ごと入れた。

耕平の家に戻りチャイムを押す。

しばらくして、Tシャツに着替えた耕平が姿を現した。

「釣りに行きませんか」

と声をかける。

「……今からか?」
「今からです。エサのミミズちゃんは調達しました」

とバケツを見せる。

茄緒はまるで遊んでもらえることを期待している、尻尾を振った子犬のようだ。

そんな彼女を見ていると先ほどまでの、いや、長年突き刺さったままの心のトゲが溶かされていくのを感じた。

耕平は小さく笑う。


「いいだろう。行こうぜ」
「やった。久しぶりですね」


今日は茄緒の車で河川まで移動し、車を止める。


「小さい車だな。乗りづらくないのか」


耕平が不満を漏らす。


「放っておいて下さい、車は走ればいいんです」


茄緒は口を尖らせる。

目的地にたどり着くと、いつもの河原から二人で竿を投げ入れた。



「実はさっき、弟にゲームでボロ負けしまして。弟はゲーム機持ってないんですよ?初めてしたのに、ひどいと思いませんか」



釣竿を握ったまま茄緒は愚痴をこぼす。
茄緒の愚痴を聴きながら、耕平は涼の瞳を思い出していた。


あれは野心を持った目だ。
飄々としたフリはしているが何か目的がある。


耕平のビジネスマンとしての感がそう告げたが、それを表情にも声にも出すことはしなかった。

口元に笑みを浮かべると違うことを音声にする。


「なるほど。それで釣りなら、おれに勝てると思ったわけか」
「はい。……あ」
「ほう?」


耕平の言葉に乗せられて、うっかり返事をしてしまった茄緒は、いえ、そんなことは、と言葉を濁している。


「あ、見て下さい、カワイイ鳥さんがいますよ~」
「ごまかし方が下手だな。そんなんで取り引きができるか」
「ただの事務員にやめて下さい。でも耕平さんも、あまり嘘は得意じゃないですよね?」
「少なくとも、あんたよりはマシだ」


少しずつ距離を縮めて行くふたりに暗雲が近づいている。


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