檸檬の黄昏
「禿先生、本当にありがとうございました」
シンプルなシャンデリアをあつらえた応接室で、スーツ姿のテーブルの向こうの男に頭を下げた。
「いえ僕は仕事をしたまでですよ、お役に立てて良かった」
茶色の髪に白い肌。
柳のような眉と切れ長の瞳で、優しい笑顔が印象的だ。
整った甘い顔立ちで身体は細身で長身の、美貌の男。
この男がまさか残虐な一面を持つサディストとは、誰も思うまい。
とある弁護が終わり、依頼人が礼を受けて退室する。
ここはマンションの最上階にある、彼の事務所だ。
ソファから立ち上がると、夕暮れのテラスから外を見つめる。
禿雅史は弁護士であり、父親、弟、妹も共に弁護士であるが、曾祖父は勲章を授与された経歴のある政治家であった。
現在、一家で法律事務所を持っており長男である禿雅史は、幼い頃から父親の事務所を継ぐ存在として期待をされていた。
母親譲りの美貌の若者だったが、学業の成績は普通で、父親から弟妹からも、見た目だけの空っぽな人物とされ、母親も手を差しのべることはなかった。
母親は自身で開いている手芸教室に夢中であり、子どもには興味がなかったのだ。
そんな歪んだ環境で育った禿雅史が、高校時代に出会ったのが茄緒だった。
輝く稀有な美貌。
しかし、それを鼻にかけない前向きな性格。
運動は少し苦手だが、努力して上達しようとする努力家でもあった。
禿は、こいつだと思った。
この女こそ、自分と同じ人間なのだ、と。
茄緒に交際を申し込み、付き合い始めた。
美貌の二人とあって、校内では話題になった。
女は自分の思う通り、何も考えていない愚かな人間だという蔑んだ目で見ていたのたが、茄緒は違った。
茄緒は表には出さないが成績も優秀で、常にトップグループ内にいた。
両親を亡くしたばかりの茄緒にしてみれば、在籍中とこれからの進学費用を考えれば悪い成績を取れなかった、という理由があった。
優秀者推薦枠で無償で進学しようと考えていたからである。
茄緒はその枠で無事に進学し、生活費用の為にモデルのアルバイトを始め、徐々に頭角を現す。
一方、禿は高校卒業後、法科学科のある有名大学に進学し、司法試験にチャレンジするが、失敗してしまう。
その後の弟、妹は一度の試験で合格し、彼は再び嘲笑の的となった。
何とか司法試験に合格した頃、禿は茄緒にプロポーズした。
茄緒はモデルとして実績を積み、階段を登り始めたところだった。
長い付き合いの禿と、両親のそろう家庭に憧れを抱いていた茄緒は、彼を受け入れ結婚した。
やっと自由に出来る人間を手に入れた。
禿の歪んだ感情は爆発した。
毎日、しつけと称した暴力、暴言。
自分が悪い、と涙する茄緒の様子は、余計に禿を苛立たせた。
そして……。
昔を思い出していた禿は、笑った。
次の瞬間には、目に憎悪が燃え上がる。
何が離婚だ。
自分は茄緒を愛しているんだ。
茄緒への暴力もスクープされ、週刊誌に掲載される直前だった。
親には世間体のためだと無理矢理サインさせられ、週刊誌も金と別の情報を売り、もみ消した。
その記事を書いた記者も消息不明だ。
今は自分なりに地位もあり、昔は欠点でしかなかった容姿が武器になりつつある。
あの時、離婚を強いた親も、もういない。
莫大な遺産を引き継ぎ、彼はやりたい放題であった。
この趣味の悪い事務所も引き払う予定だ。
「さみしいよ、茄緒。早く君に会いたいものだ」
禿雅史は、マンション最上階から見える夕陽に向けて呟いた。