檸檬の黄昏
耕平と敬司が急な出張へ発ってから一週間。
今日か明日には二人共に、帰国予定である。
暦は7月に替わっていて、夏の陽射しが眩しく、暑い。
しかしまだ梅雨明けはしておらず、どんよりとした重い空が覆っている。
「あ。雨」
道の駅での朝のアルバイトを終え、帰宅しようとした時だった。
まだ小降りだったので、すぐに止むだろうと軽く考え走り出した茄緒だったが。
五分後には叩きつけるような、どしゃ降りに変化してまった。
雨宿りしようにも、ちょうど田んぼが広がる田園地帯だ。
雨宿りどころか、木一本すら生えていない。
しかも遠くに黒雲が見え、雷鳴が聞こえるのだ。
サイアク……
仕方なくずぶ濡れになりながら走り続けていると、後ろからクラクションを鳴らされた。
その車は茄緒を追い抜き、数メートル先で停車するとハザードを点灯さる。
その白いSUV、ナンバーをよく知っている。
茄緒の顔が自然と笑顔になった。
近づくと運転席の窓が下にスライドし、主が顔を出す。
「耕平さん!お帰りなさい」
「運がいいな。乗せてやる」
「助かります、さすが上司さま」
後部座席がスライドして開き、茄緒に乗り込んだ。
「ありがとうございます、助かりました。すみません、シート濡らしちゃって」
後で車、お掃除させて下さいと云ってから、パリはどうでしたか、と出張していた上司に笑いかけた。
バックミラーに茄緒の姿が映っている。
「シテ島のポイントゼロとか。踏んできましたか?」
「アホ。観光じゃない」
ずぶ濡れで髪や服が肌に張り付いているが、その様も美しく、綺麗だった。
耕平の瞳が優しく笑ったが、茄緒は気づくはずもない。
「仕事は無事に終えた」
「さすがですねえ、耕平さん」
徒歩やジョギングだと長く感じる距離も、車だと早い。
自宅前で耕平の車が停車し、礼を述べてから降りる。
小走りに玄関へ向かい、家の鍵を開けようとして。
茄緒は鍵を持っていないことに気づく。
そういえば、スマホも持っていない。
!?
耕平の車の車内かとも考えたが、その時にはすでに持っていなかったように思う。
焦りながら、道の駅を出る前の行動を思い出してみる。
着替えて、ロッカーから荷物を出して。
すれ違った主婦パートさんに、お疲れ様です、なんて挨拶をして。
帰ろうとして控え室のゴミが気になって。
それをまとめて、片付けた。
……あ。
その時にスマホと鍵の入ったポーチを、控え室のテーブルに置いた。
代わりにゴミを持ち処分して。
そのまま忘れて外の雨に気をとられて、早く帰ろうと走り出した……。
「………」
玄関の前で茄緒が言葉を失っていると、頭にジャケットを被せ雨避けにしながら、スーツケースを持った耕平が気づき声をかける。
「鍵、忘れました……」
茄緒は返答したが、その間にも気圧は下がり気温も一気に低下する。
稲光や雷鳴も強くなり、雨は視界を遮るほどだ。
「こっちに来い」
雨音にかき消されないよう耕平が叫んだ。
「え、あ、でも」
「いいから来い」
茄緒は覚悟を決め、どしゃ降りの中を走り抜けると隣人宅へたどり着く。
耕平が鍵を開け二人は中へ入り、玄関を閉める。
雨音は遠退き、二人の呼吸と気配がその場を支配した。
茄緒がため息をつき玄関に腰を降ろすと、耕平が上がるように促した。